« 2007年9月 | トップページ | 2008年1月 »

土方最期の一日の続き

S2006p021_2 官軍総攻撃の前日五稜郭で旧幕府軍の幹部、榎本、大鳥、土方の3人が抗戦か降伏か、それぞれの立場の違いに、どう官軍と向き合うか意見が割れていた。そんな中で土方歳三の強い意志で「死ぬのではない、生きるために諦めず戦い挑む」で結束する。官軍総攻撃の当日、圧倒的な数の官軍を前に、一縷の望をかけたが、歳三が予期した以上に状況が悪く、弁天台場は既に落ちていた。

自ら最期を飾る様に五稜郭から離れ、新選組の仲間支援に向かうが歳三は一本木で倒れる。

板橋で既に処刑された「勝ちゃん」の意志を継いで散ってゆく。勝ちゃんと天の上での再会に、良く来たなあと微笑みで出迎えられるシーンは正に新選組の終幕を飾るようで、ジーンと心うつようであった。

この時期に未だ燃え盛るものは何故だろう・・・?。三谷幸喜が斬新な切り口で新しい新選組フアン層を造った。山本耕史が演じる歳三の姿が根強いフアンの中にかたりべとして、何時までも、続いているのであろう。2週に渡る木曜時代劇で取り上げられた新選組に再び、通り過ぎた饗宴が思い起こされた。

新選組フェスタin日野でフアン層で沸いたあの満願寺メイン会場跡は散歩の通りすがりに行く場所の一つである。残された建物は子供達の遊技場や集会所に化け、新選組の残痕は殆ど消え去ってしまった。あれから既に4年も経っている。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

終わってしまった風林火山

Image11111 正に壮大な川中島での武田信玄と上杉謙信とのダイナミックな決戦、山本勘助の憤死をもってこのドラマは終わってしまった。武田と上杉が死闘を繰り広げられ、両軍の夥しい戦死者の中で、「六文銭」の軍旗をかざした真田軍が疾駆し、やや傾きかけた武田側の勢いを取り戻す、騎馬軍団の姿が逞しく、目に映る。武田側が戦勝に沸くが、余りにも多い犠牲者の中で心なしか「エイエイオ~」の勝ち名乗りが弱々しい。

歴史を残した川中島の決戦も、両雄あい譲らずそれぞれの領地に引き揚げ、名を残す。疾きこと風の如く、除かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く。類まれな武田軍のイメージを残し、その名は後世迄伝えられる。今回はきつつき戦法と言われたが、正に動かざる軍団が風の如く表れ、風の如く去っていく姿は正に言葉通りの象徴的姿であった。

その武田軍団の血を引くのが、幕末期の勝沼戦争で戦勝する東征軍の板垣退助であり、一方では旧幕府側の八王子の千人同心であり、八王子の戸吹村に住み着いた天然理心流の門弟達であり、中でもあの新選組の井上源三郎も武田の血を引く一人である。そんな背景から武田の遺影を追いながら一生懸命見てしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

受難の井伊直弼

Naosuke02ll1_2 
開国か攘夷か、幕府の運命を一身に背負いながら開国の道に辣腕を振るったのがこの彦根藩主・大老井伊直弼であった。
幕政に絶大な権力をふるって、さっさとアメリカと修好通商条約を結んでしまい、横浜開港の道を作った。条約調印に反対する反幕府活動に対して安政の大獄と言われる力での弾圧で攘夷派志士を潰し、桜田門で横死した。旧彦根藩の有志が伊井掃部直弼の開港功績を記念して銅像を建立し、掃部山公園と名付けた。
しかし、除幕式の、数日後には銅像の首が切り落されてしまった。
当時の神奈川県知事周布(すふ)公平の父は萩(山口)藩士周布政之介(まさのすけ)である。井伊直弼は長州・萩の人々が尊敬する吉田松陰を安政の大獄で殺した人物で、当然、周布公平も井伊直弼に好感情は持っておらず、こうした因縁から銅像建立は許しがたかった。開港の牽引者、直弼も気持ち休まらず、明治42年になって2度目の受難が、ここ野毛で、起きており、長州の末裔に未だ攘夷のエネルギーの燃え残り火が残されていたようである。

掃部山公園

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年9月 | トップページ | 2008年1月 »