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受難の井伊直弼

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開国か攘夷か、幕府の運命を一身に背負いながら開国の道に辣腕を振るったのがこの彦根藩主・大老井伊直弼であった。
幕政に絶大な権力をふるって、さっさとアメリカと修好通商条約を結んでしまい、横浜開港の道を作った。条約調印に反対する反幕府活動に対して安政の大獄と言われる力での弾圧で攘夷派志士を潰し、桜田門で横死した。旧彦根藩の有志が伊井掃部直弼の開港功績を記念して銅像を建立し、掃部山公園と名付けた。
しかし、除幕式の、数日後には銅像の首が切り落されてしまった。
当時の神奈川県知事周布(すふ)公平の父は萩(山口)藩士周布政之介(まさのすけ)である。井伊直弼は長州・萩の人々が尊敬する吉田松陰を安政の大獄で殺した人物で、当然、周布公平も井伊直弼に好感情は持っておらず、こうした因縁から銅像建立は許しがたかった。開港の牽引者、直弼も気持ち休まらず、明治42年になって2度目の受難が、ここ野毛で、起きており、長州の末裔に未だ攘夷のエネルギーの燃え残り火が残されていたようである。

掃部山公園

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