« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

篤姫縁の地へ バスツアー

Img_04671多摩地区からバスツアーで江戸東京博物館から江戸城、薩摩藩上屋敷跡、一橋邸跡、増上寺、芝離宮庭園と篤姫と徳川に関わる、縁の地を駆け足で廻ってきた。物凄い人気で当初予定された2日間は既に満員で予備に設けられた1日に漸く滑り込んだ。江戸東京博は約200点近くの出品物に篤姫の軌跡をたどるように鹿児島から江戸までその節目となる絵図、品物が目白おしに並べられ、じっくり見るには時間が惜しかった。それでも篤姫が2度目の養女となり念願の江戸城入りは行列の先頭が江戸城から広尾の別邸まで行列が続いたその行列の規模に驚かされた。また官軍隊長宛に天璋院が江戸城無血開城にかけた書状は天衣無縫な幼女時代の生き方がそのままぶつけられるようで、流される画像とも併せ、釘付けになってしまった。

Img_04151 皇居では既に無くなってしまった天守閣跡の高台から、その舞台となった大奥や、松の廊下跡を含めた舞台に僅かに残る松の木を目印に場所を教えて頂いた 。 殆ど消え去った城跡に僅かに残される潮見坂は石垣の美しさと堀が見えて、坂がひねれて、向こうには江戸湾が見えたと言われた世界は今でも、その名残はたっぷり味わえる世界であった。梅見坂では丁度梅が花開き、この美しさの可憐さも篤姫が見たのであろうか、共有できた。

増上寺では普段閉められた歴代徳川将軍家の霊廟が特別にご住職の手で開けられ、ベールに包まれた御霊屋の厳粛な世界に入ることができ、とても感動した。歴史の中で尊皇攘夷派と幕府が対立激化し、その頂点にあった14代将軍家茂公の墓石に近寄れたのは感動ものであり、その霊廟から立ち去り難い場所でもあった。

戊辰戦争の引き金になった庄内藩他諸藩の焼討にあった薩摩藩邸の広大な跡地はビルに埋まった場所でもあるが、歴史の接点として見るべきものがあった。

等々ご案内頂いた紺野先生の奥の深い歴史への知見を背景にテンポの良い饒舌な説明にたっぷりと一日篤姫に浸ってしまった。それにしてもよどみなく出てくる言葉に、頭の中は一杯歴史が詰められているようで、ただただ関心させられた 。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

黒船来航に揺れるドラマ「篤姫」

Uragaa63大河ドラマ「篤姫」もいよいよ黒船来航で幕府も、抗戦派、開国派
海軍の擁立に激しく、激論交わされる。
その舞台となった浦賀について、ドラマ終了後僅かな時間に紹介された。
小さな渡し船「横須賀市道2073号線」も報じられ、大変懐かしく目に映った。
狭い浦賀湾を挟んで東浦賀町は神社仏閣、
西浦賀町奉行所跡があり、その周辺を中心に歴史が繰り広げられた。
浦賀港の西側に位置するペリー上陸記念碑から、燈明崎、西浦賀町、東浦賀町、鴨居、走水の奉行所まで丹念に見て行くととても、一日では廻りきれずに何度も足を運んだ。
思うがまま、遊軍的に場所を選び、走破しようと試みたら、肝心の史跡碑では夕闇迫り、真っ暗になってしまったこともあった。
幕末フアンにとって、この懐の深い史跡を見逃せない場所であり、一通り廻ってみた。

日本の海運にかけた中島三郎助、勝海舟始め、ペリー来航にその雄姿に驚きの目を見張った吉田松陰や佐久間象山が駆けつけた平根山、海運目覚め初めて渡米した咸臨丸など、など何れも印象的な場所であった。
史跡地図とも合わせ、どんな場所か?
そこで何があったか?歴史をほごして見た。
国論揺れる台風の目となった浦賀は静かな佇まいの中、幕末史を飾る素敵な場所である。

浦賀湾渡し舟

| | コメント (0) | トラックバック (0)

鶴丸城へ向かう

120500561 於一が養女として鶴丸城へ向かう。それを何時までも見送る実父の島津忠剛と母お幸のシーンはさしずめ、子離れ出来ない両親の姿を見るようで、ホロリとさせられる。あの舞台となった今和泉家のシーンはなんと伊豆韮山の江川太郎左衛門邸を使ったそうである。

ならば、拙宅にもそのお宝写真がある筈と調べたら、あったあった。2004年12月に行った時に撮りまくった写真の1枚にあった。大きな門を潜った砂利道の奥に僅かに式台が見える。この式台で両親が既に行ってしまった於一の姿を何時までも追っているシーンを重ねて見たが、ちょっと遠すぎるのか、門を通して僅かに伺える。

門を通して式台迄の距離・空間が決め手になり、撮影シーンとして選ばれたようである。成るほど、言われてみれば幕末の上級武士の姿を彷彿させるに相応しい場所である。式台の写真があれば、もっとリアルに見えるが、残念ながら撮ってなかった。

何れにしても国内を通じて、指折り数えられる、公開されている幕末の屋敷である。我が南多摩郡もこの江川太郎左衛門の代官の配下である。そんな関わりから、また行きたくなってしまった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

散る雪や

Img_00911 此処、旧南多摩郡、日野本郷も今シーズン2度目の大雪に見舞われた。門から中庭の砂利道もしっかり雪つもり、未だ来客の前は時ならぬ雪かきで大童であった。幸い足場の悪い午前中は殆ど来客はなく、雪かきに専念し、一汗かく。広い庭先の通路が確保でき、「もう、帰ろうか」などと冗談が出るぐらいの雪であった。

それでも、これしきの雪に驚かず、熱心なフアンが詰めかける。幸いに温度の上昇とフアンの熱気か、雪は自然と消えていった。

建物の前の梅の木も積もり、多趣味の本郷名主佐藤彦五郎の俳号、春日庵盛車の一句が、この雪にタイムリに浮かぶ。

「散る雪や柳を見ても、梅見ても」当家に嫁ぎ33年間の子育てを終わり、明治10年47歳で亡くなった「おのぶ」さんを忍び生まれた俳句。生前夫婦間で交わした対話に出てくる柳、梅を雪を素材に幻想的な世界を作り出す。そんな舞台装置を背景に茶間から見える姿が改めてこの俳句を作った彦五郎さんの感性が彷彿される。そんな話に一生懸命聞いて頂いたフアンに何か響くものがあったようで、嬉しかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

天然理心流を間近に見て昂奮

Img_0063 新選組ふるさと歴史館、特別展示「新選組戊辰戦争のなかで」のオープニング記念行事の一環で天然理心流の実技を身近に見て感動した。当日は大雪のため、元々屋外でやる予定が、急遽館内で実施され、お客様の来場も少なかったこともあって、こんな近い所で迫力のある演技を見せて貰った。

当日の演武は近藤勇のご子孫であり天然理心流の宗家宮川清蔵さん、井上源三郎のご子孫で井上雅雄さん始め、天然理心流撥雲会の荒川治会長以下門弟の皆さんの迫力ある演武でした。写真は基本中の基本「切り紙」の木刀 五本で、まさに近藤勇、井上源三郎の末裔による「エイトウ」の掛け声と木刀の相打ちで館内に響きわたる迫力あるものでした。

Img_007311 ついで実刀によるわらの試しきり。「ブーン」と言う風きり音が聞こえるような距離で、見事な太刀裁きはこれぞ刀の呼吸する様を見る様で、何とも言い難い贅沢な見学であった。

天然理心流の教えは
一切書き教えることをせず、
総て口伝のため、演武の間の宮川さん解説は大変貴重なものでした。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »