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篤姫縁の地へ バスツアー

Img_04671多摩地区からバスツアーで江戸東京博物館から江戸城、薩摩藩上屋敷跡、一橋邸跡、増上寺、芝離宮庭園と篤姫と徳川に関わる、縁の地を駆け足で廻ってきた。物凄い人気で当初予定された2日間は既に満員で予備に設けられた1日に漸く滑り込んだ。江戸東京博は約200点近くの出品物に篤姫の軌跡をたどるように鹿児島から江戸までその節目となる絵図、品物が目白おしに並べられ、じっくり見るには時間が惜しかった。それでも篤姫が2度目の養女となり念願の江戸城入りは行列の先頭が江戸城から広尾の別邸まで行列が続いたその行列の規模に驚かされた。また官軍隊長宛に天璋院が江戸城無血開城にかけた書状は天衣無縫な幼女時代の生き方がそのままぶつけられるようで、流される画像とも併せ、釘付けになってしまった。

Img_04151 皇居では既に無くなってしまった天守閣跡の高台から、その舞台となった大奥や、松の廊下跡を含めた舞台に僅かに残る松の木を目印に場所を教えて頂いた 。 殆ど消え去った城跡に僅かに残される潮見坂は石垣の美しさと堀が見えて、坂がひねれて、向こうには江戸湾が見えたと言われた世界は今でも、その名残はたっぷり味わえる世界であった。梅見坂では丁度梅が花開き、この美しさの可憐さも篤姫が見たのであろうか、共有できた。

増上寺では普段閉められた歴代徳川将軍家の霊廟が特別にご住職の手で開けられ、ベールに包まれた御霊屋の厳粛な世界に入ることができ、とても感動した。歴史の中で尊皇攘夷派と幕府が対立激化し、その頂点にあった14代将軍家茂公の墓石に近寄れたのは感動ものであり、その霊廟から立ち去り難い場所でもあった。

戊辰戦争の引き金になった庄内藩他諸藩の焼討にあった薩摩藩邸の広大な跡地はビルに埋まった場所でもあるが、歴史の接点として見るべきものがあった。

等々ご案内頂いた紺野先生の奥の深い歴史への知見を背景にテンポの良い饒舌な説明にたっぷりと一日篤姫に浸ってしまった。それにしてもよどみなく出てくる言葉に、頭の中は一杯歴史が詰められているようで、ただただ関心させられた 。

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21、篤姫」カテゴリの記事

コメント

 中身の濃いバスツア-ですね。
特に歴代徳川将軍家の霊廟なんてめったに
見られませんよね。
 テレビの映像では何回か見たことがありますが。
 家茂公の墓の傍には和宮の墓もあるんですね。
 明日は第九回、篤姫。
 宮崎あおいさんが実生活でも結婚していることを知り、驚いています。

投稿: 鳴門舟 | 2008年3月 2日 (日) 04時27分

一日で江戸の篤姫を追いかける忙しい旅でした。江戸東京博はこれからのストーリーを展開する篤姫の姿が、更に大きく展開していくようで、展示物がとても参考になりました。
来場者の混雑振りに、ドラマの人気がそのまま伝わってきます。時間があればお勧めの場所です。
それにしても、江戸の古地図を背景に目一杯情報が詰まっている紺野洋子先生の博学振りに、ただただ驚かされ、よどみなく出てくる言葉に付いていくのが精一杯でした。

投稿: 隠れ新八 | 2008年3月 2日 (日) 17時45分

「篤姫」第九回、感想

  天井知らずの視聴率。25.3%だとか。
国民的大河ドラマになって来そうです。

 宮崎あおい、回を重ねるごとに演技力も増してきているようで、まわりのベテラン俳優達と堂々と相対しています。
 
 篤姫の成長、あおいさんの成長がますます楽しみです。

投稿: 鳴門舟 | 2008年3月 3日 (月) 10時35分

本当に歴史が大好きなんですね。
私は、まだまだ付け焼刃って感じでお恥ずかしいです。
とかいいながら、ずうずうしく
相互リンクのお願いに参上しました。
私と従兄弟と甥で作りました。
・サイト名  幕末の越後長岡藩の軍事総督、河井継之助
・URL     http://kawai.wtb01.com/
・紹介文   河井継之助の生涯、人となりを紹介

・サイト名  小林虎三郎の精神を学ぶ
・URL     http://tra.01krk.com/
・紹介文   米百俵の精神、業績、生涯

・サイト名  鯨波戦争
・URL     http://kujiranami.kuu003.com/
・紹介文   戊辰戦争の鯨波周辺で展開された戦いを解説

できましたなら、相互リンクよろしくお願いします。

投稿: kuri | 2008年3月 3日 (月) 23時26分

 今週のNHK「その時歴史が動いた」で取り上げるのが河井継之助ですね。

 >明治維新の幕開け、戊辰戦争。破竹の勢いで東征を進める新政府軍を食い止めたのが、越後の小藩・長岡藩である。長岡藩は、兵士わずか1300人で、四倍の兵力をもつ新政府軍に頑強に抵抗。その戦いぶりは、成立したばかりの新政府の存亡をも危ぶませるほど激しいものだった。
この長岡藩を率いたのが、家老・河井継之助である。

投稿: 鳴門舟 | 2008年3月 4日 (火) 05時01分

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