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吾輩は猫であるに登場する天璋院

Image1  「何でも天璋院様の御祐筆(ごゆうしつ)の妹のお嫁にいった先の御っかさんの甥の娘なんだって」猫どうしの対話の中で、猫の三毛子が吾輩猫に飼い主の二弦琴のお師匠さんの出を自慢そうに説明する。以上の部分が夏目漱石の「吾輩は猫である」の作品に登場する。・・・これもツア旅行の内藤先生の受け売りである。

「天璋院様の御祐筆(ごゆうしつ)の妹の・・・」複雑な系譜の文言にだから、天璋院様の何なのかを聞き返すが、頭の中が混乱しよくわからず、「あなたも余程分からない」と説明する三毛子が逆切れて しまう。

こんなやりとりから、御祐筆を調べてみた。奥右筆(おくゆうひつ)とは、江戸幕府の役職のひとつで、若年寄の支配下にあった。奥御祐筆(おくごゆうひつ)とも言われる。江戸城本丸の御用部屋に詰めることが多かった。
奥右筆とは、江戸幕府の機密文書の管理・作成などを主に取り扱う役職で、江戸幕府の数多い役職の中では特に重要な役職であった。現在で言うところの企業や政治家に付く、秘書に近い存在であった。ただ、秘書に比べ、奥右筆は権威も高く、大老や老中などの幕閣が出席する会議でも意見を述べることができる権利を持っており、一説では老中よりもはるかに強い権力を持っていたとも言われている。

と言うことは飼い主の二弦琴のお師匠さんの縁者は大奥のトップにある高位の役職にある方だよと言うことのようだ。

漱石は慶応3年(1876)江戸牛込馬場下横町に名主夏目小兵衛の五男で末っ子であった。漱石の育った環境は江戸町人の世界であり、小説の舞台となった本郷区(文京区)千駄木町は当時漱石が住んでいた所で、二弦琴のお師匠さんも実在していたようである。その町人文化に天璋院様の存在も深く入り込んでいたのあろうか・・・。

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21、篤姫」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
天璋院バスツアー、お疲れ様でした。
江戸博には先回の北斎展の時に行って、篤姫展のチラシを貰ってきました。
4月6日迄だそうで、早く行かなくちゃです。
バスツアーって普段見られないものが見られたりで、特典満載ですね。私も参加してみたいです。

「我輩は猫である」に天璋院が出てくるなんてまったく覚えていませんでした。
もう一度読み返えそうかと思います。
以前、漱石先生のお墓参りに行ったことがあります。思えば江戸時代生まれの方だったんですねぇ。漱石先生が掛かっていた胃腸病院がいまだに四谷に有ります。名医らしくかなり人気の病院だそうですよ。

投稿: ねこ江戸 | 2008年3月 7日 (金) 21時47分

「篤姫展」は必見ですね
色々身近な所で新しい事実が判ってきます
大河によって、色々勉強になり、未だ未だ、幕末については浅学であることが思い知らされます。
>漱石の胃腸病院がいまだに四谷に
未だそう言う所が残されているんですね
四ツ谷、千駄ヶ谷はネットワークの中、漱石の世界に天璋院が重なるのも、当然なのかもしれませんね

投稿: 隠れ新八 | 2008年3月 8日 (土) 00時31分

 漱石と言えば「坊ちゃん」も有名ですよね。
 東京に住んでいた時、なぜそこにいたのか思い出せませんが、何かの撮影風景に出くわしました。
 テレビで見た顔の、柴俊夫、西田敏行の両名がいました。NHKの「坊ちゃん」の撮影風景でした。たぶん二人とも新人だったでしょう。場所はNHKの近くの公園だったと思います。
 撮影がすみ、帰りの陸橋を歩いていて、ふと横を見ると、大柄な体格の人にジロっと
にらまれました。
 後でわかったのですが、あの個性派俳優の
伊藤雄之助さんでした。

 「篤姫」の高視聴率。「おしん」を思い出しました。ああいう、苦難を乗り越えてゆく
成長物語は日本人好きなんですね。
 

投稿: 鳴門舟 | 2008年3月 8日 (土) 08時53分

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