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念願の江戸城入り

Img_04151薩摩から江戸に来る過程で、京に寄り右大臣・近衛熙の養女となり、敬子(すみこ)と改称し、格式を付けるなど薩摩の島津の一分家の娘から、着々と高い位置に登り詰める。 薩摩から江戸へやってきて、期待、夢、不安の中、薩摩藩邸で輿入れ準備で徹底的に磨かれ、将軍の正室としてトップレデイとして究めいよいよ江戸城に入城する。

江戸に来てから丸3年、前述の渋谷別邸を後にした篤姫一行は、江戸の市街地を通り、堀に囲まれた江戸城に到着し、掘割の橋を渡り、写真の如何にも重厚な平川門に迎えられる。渋谷別邸からの長蛇の列、調度品を総て運び終えるのに65日間要したと言われその長大な規模に驚かされる。今や国会議事堂やオフイスが立ち並ぶ官民の中枢で御一行の行列に2カ月近くも交通規制したらば、たちまち大パニックに陥る壮大なものであったであろう。

平川門は謂わば江戸城の勝手口とも言われる存在で、大奥の通用門として利用された。3代将軍・家光の乳母であった春日局は外出した際、門限に遅れてしまったが、門衛は例え将軍の乳母であっても規則なので決して門を開けなかった。そのため春日局は門外に駕篭を下ろし寒風の中、一夜を明かしたと言う。それを聞いた家光は怒らず、逆に職務に忠実だと感心したと言われている。この門衛は後の海軍・陸軍奉行を歴任し、官軍によって斬罪とされた小栗上野介の遠祖であった。ことほど左様に厳重な管理下の元、出入りは厳格な迄に徹底されていたのであった。

Img_037911 門を潜り、いよいよ大奥へ、所が写真の如く、果てし無く続く広大な広場に僅かな松の木が立つだけで、その痕跡さえ伺う事の出来ない位に変わっていた。江戸城の中心の本丸の6割を大奥が占め、大凡4万坪の途方もない広さの大奥があった。それぞれ用途に合わせた数多くの部屋があり、新御展(しんごてん)と言われた一角が篤姫の住まいとして用意された。長房(ながつぼね)には1000人以上の女性達が寝起きしていた。広大な芝生の一角に立ち、約200年近く続いた徳川時代のきらびやかなシンドロームの世界にわくわくしながら、しばし思い浮かべてみた。

彼女達の頂点に篤姫があり、歴史の中に色々な思惑の中、喧騒の江戸城大奥に舞台を移し、篤姫が立ち向かっていく。

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