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坂の上の雲に登場する乃木将軍

Roppongi606 乃木希典は、幕末の嘉永2年(1849年)11月に江戸の麻布日ガ窪の長府藩邸(現在の六本木ヒルズあたり)の長府藩士の子として生まれまれる。
9歳の時一家は江戸から故郷の長府に移ったが、この時京都までの長い道のりを父親と一緒に歩かされ父秀次に厳格に育てられた。幕末の遺児吉田松陰の叔父にあたる萩藩の玉木文之進の厳しい指導を受け更に慶応元年(1868)毛利萩藩校の明倫館に入学を許され文武両道を学ぶ。
翌慶応2年に幕府の長州征伐が始まるが、16歳で報国隊に入隊、砲一門の長として抜擢され戦闘に参加し、幕府軍を迎え撃つ。
明治2年(1869)には大村益次郎が陸軍創設のため下級幹部教育行う都伏見の御親兵兵営に入り、ここでフランス式軍事訓練を受け、職業軍人として歩み始める。明治10年、29歳のときには第14連隊長心得として西南の役に出陣するが、熊本城攻撃の最中に連隊旗を失うという失態をしている。
明治27年(1894)歩兵第1旅団長(陸軍少将)として日清戦争に参加。旅順を攻略する。
明治28年(1895)第2師団長(陸軍中将)として台湾征伐に参加。翌年台湾総督に就任。
明治37年(1904)第3軍司令官(陸軍大将)で日露戦争に参加。旅順港を陥落させたが、2児の勝典、保典戦死を含め多くのの戦死者をだす。
乃木は、1912年9月13日、明治天皇大葬の夕に、妻とともに自刃して亡くなった。

Roppongi607 まず静子が乃木の介添えで胸を突き、つづいて乃木が割腹し、再び衣服を整えたうえで、自ら頚動脈と気管を切断して絶命した。遺書には、明治天皇に対する殉死であり、西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死であるむねが記されていた。9月18日、青山墓地で葬られた。
その日について山のように人が群がり、市電の道を覆い、このため市電は六本木終点、豊川稲荷、青山4丁目で運転中止する騒ぎだったようで、静かな赤坂にこれだけ人が出たのは、大正元年までの間、この時だったとろうと言われている

その命日がもうやってきた。赤坂散歩にその乃木邸と殉死した生生しい部屋がそのまま残されている

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