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幕末残す千駄ヶ谷

Ooban203 当掲示板の「千駄ヶ谷徳川屋敷跡」の記事が多数の方に読んで頂き、正に大河ドラマ篤姫人気が大いに感心を呼んでいるものと思える。
かっての我が家は千駄ヶ谷に親類縁者と共に移り住み、戦後の復興時期の10数年ここで暮らした。
それが東京オリンピックを契機に、国立競技場や首都高速道路の建設が進められ、我が家も首都高4号線の直下となり、近隣の居住者とも併せ強制的に撤去の運命になってしまい、法事の時位しか集まる機会がなくなってしまった。写真はその近くの外苑橋である。
徳川屋敷にやや近い、鳩森神社近くに80を越える叔母が未だ住み、健在であることから
何か新たな情報があるやと訪ねてみた。大河篤姫は見ているようで、話は必然的に徳川屋敷の話しになったが、その存在も記憶の中にあり、敷地の中で屋敷をコロで引かれる様子は鮮明に覚えているようであったが、それ以上のことは判らなかった。
幕末など全くの疎遠で中学迄、千駄ヶ谷で暮らしていたが、振り返って見ると、天璋院篤姫初め手の届く、身近な所に幕末、取り分け徳川の色濃い場所に居たのだということが思い知らされる。
因みに私が通った四ツ谷第六小学校周辺は殆ど桑畑や茶畑で旧幕府軍時代の「御焔硝蔵(火薬庫)」が幾棟かあった軍用地であった。
明治22年(1889)「第一師団輜重兵第一大隊」が呉服橋からやってきて、隣接の慶応病院に大正の始めまで居た。その隣の兵器支蔽倉庫の跡地を四ツ谷区(現新宿区)が割譲され大正15年(1926)に校舎が竣工され開校した。

その学校の脇をかっては流れていた渋谷川のすぐ上手は新選組の1番隊士沖田総司の終焉の地の一つとして、植木屋平五郎の家があったと言われる所である。屋上からボールを拾いにこの渋谷川を辿り外苑側に追ったことなど思い出す。
外苑側に足を延ばし聖徳記念絵画館がある。
風変わりな建物をテルカンと呼び小学生時代は集団の記念撮影場所や絵の素材としても良く使われた。ここには明治天皇の御隆誕から始まり、大政奉還、鳥羽伏見戦江戸開城談判、大阪行幸諸藩軍艦御覧、西南役熊本籠城、日清日露戦争など明治新政府の歩みを背景に大葬までの明治天皇のご事蹟を時代順に拝顔する事が出来る。

昔を懐かしみ幕末史を振り返れる大好きな故郷なのである。

ふるさと「四谷大番町」の周回 でご案内してます

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09、四谷・千駄ヶ谷歴史散策」カテゴリの記事

コメント

何にせよ、長い年月を知ると言う事の大切さを思い知らされます。

投稿: Hbar | 2008年10月 6日 (月) 18時30分

歴史に全く無関心な、少年時代までを此処千駄ヶ谷で過ごし、多少の歴史を興味をもつようになった今日、色々の事実が判ってくると、凄い所に居たんだ思い知らされます。
生き証人が居る間にもっと聞いて置けばとも、思いますが、己自信が年老いてしまいました。

投稿: 隠れ新八 | 2008年10月 6日 (月) 20時08分

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