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将軍慶喜公の江戸逃亡

0330000611拙宅サイトの篤姫輿入れに半月程要し、それでも未だ未成熟と思いつつも見切り発車したが、幕末掲示板の書き込みが置いてきぼりになってしまった。
その間、大河ドラマはドンドン進み、三田薩摩藩邸が薩摩浪士の江戸市内のテロ活動に業を煮やした幕府の庄内藩が中心になり、焼き討ち事件が起きてしまう。この事件を背景に薩長連合と幕府軍との戦いの火蓋が切られる。数では圧倒的な幕府軍に対し、少数ながら近代的な兵器で固められた
薩長連合の前に幕府軍は雪崩を打つようにドンドン崩れていく。
したたかな知恵者岩倉具視は薩長軍の倒幕方に天皇の「錦の御旗」を与え官軍とし、これに歯向かうは逆賊にしてしまう。
幕府軍は体制を整えるべく大坂城に一旦引いたが、時の将軍慶喜は兵士を置いたまま、軍艦開陽で江戸へ逃げてしまう。 江戸の上陸先は浜御殿の「お上がり場」で、そのまま江戸城へ逃げ帰る。

その「お上がり場」は浜御殿で案内している。
慶喜にとって最早頼るは天璋院しかないが、天璋院は顔も見たくないと再三拒否するが、何とか面会の機会が生れる。大河ドラマでは生き恥をさらすくらいなら死を選ぶと言う慶喜を前に、天璋院は手を
付き生きるべきと告げる。・・・こんな所は如何にも男として将軍として立て、徳川家を守るべきと懇願する姿が、ドラマの筋書きであった。
しかし、実際はどうであったのであろうか、慶喜は天璋院の前に平伏して、和宮ともども朝廷への謝罪を取り図って欲しいと懇願している。
慶喜に良い感情を持たないものも、徳川存亡にかけ、天璋院や和宮は行動を起こし、慶喜の赦免と家名の存続を朝廷への働きかけを行うが、意のままにならない。
そしてかっての和宮の許嫁であった有栖川宮熾仁親王を大総督とする東征軍が怒涛の勢いで江戸へ向かって進発する。

その有栖川宮熾仁親王の雄姿は有栖川宮公園に飾られている。

いよいよドラマは核心に触れ、目は話せなくなる。

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