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篤姫江戸城を去る

Tensyouinedo01 大河ドラマ天璋院篤姫もいよいよ大詰めを迎え、終幕が迫ってきた。
遥々薩摩から江戸へやってきて入輿以来、一橋家、紀伊両家にまたがる将軍継嗣の問題、病弱な家定を夫に、短い夫婦生活、3000人の大所帯の中での確執・派閥争い、生活習慣の違いから、皇妹の嫁と姑のぶつかり合い、最後は送り出した薩摩藩から賊軍として倒幕の矛先を向けられ、徳川家一筋に尽くした結果が何の報いを得らず遂に敵に居城を明け渡し、徳川隆盛約260年の歴史の幕引きを行う、波瀾万丈の大奥の13年間であった。
江戸へやってきて以来、江戸城大奥での生活を拠点に、江戸城に入る前や、大政奉還以降に江戸城から追われた以降も、江戸市内をあちこち、転々としており、歴代御台所でも最も多く、「お移り」をした人でもあることが判った。
大河ドラマでは余り、多くを語られなかったが、江戸市内を数多く「お移り」をした事実は天璋院篤姫の歴史の中での大きな発見であった。

その邸宅は芝の薩摩藩邸、に始まり渋谷の別邸、大手町の一橋邸、築地の一橋下屋敷、青山の紀州邸、戸山の尾州邸、赤坂の相良邸、最後は千駄ヶ谷の紀伊邸等々十指に余ると言われている。現在の23区分で言えば港、千代田、品川、中央、渋谷、新宿と広範囲に江戸に根を張った徳川家の屋敷を思い知らされると共に江戸の切絵図に見る多数の幕末の屋敷跡や史蹟跡の存在を光浴びる結果が生れた。

某ラジオ局から、江戸城を紹介するボランテイアガイドさんが、江戸城の平川門とその木橋だけでも案内してくれと、大河ドラマ天璋院篤姫のブームを呼んでいるようであった。

赤坂福吉町の相良邸と赤坂氷川町の勝の屋敷とは隣町と言うこともあって、大奥から江戸市中に下りて、柳橋や向島の料理屋へよく天璋院篤姫を誘い出し、天璋院篤姫も応じた中であった。大奥の御台所として重い責務から解放され、下町の情緒や隅田川の風情に触れ、生涯を通じて一番良き時代ではなかったので無かろうか。
ベールに包まれた大奥の世界から江戸城から追われ、江戸庶民に近づいた天璋院篤姫の晩年の姿を辿って見た。

晩年江戸市内で送った世界は果たしてどうであったか篤姫江戸城を去るで纏めて見ました。

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最近の篤姫に関するブログを見ていると、皆さん非常に関心があるんだなぁって感じま... [続きを読む]

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