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勝海舟生誕地

Image1 下町を巡って両国駅付近をウロウロ、丁度初場所時期に重なり、着物に丁髷姿、大きな巨体を揺らしながら歩く関取の姿に、改めてここは相撲のメッカだなと改めて思い知らされる。
そんな姿に気を引かれながら、今日は別の用事、両国公園と言っても小さな公園であるが勝海舟の生誕の地に寄った。

碑の前で一生懸命に目を凝らし、見ている30~40の男性が姿に自ずから幕末フアンかなと思って当方も碑に寄っていた。デジカメと切り絵図下げる、こちらも同胞と察したか、
「この碑を捜し当てるのに随分苦労しました」と言って、満足された趣で立ち去っていった。
直心影流の剣客、「剣神」とまで呼ばれた男谷精一郎に多くの門弟が集まり賑わった屋敷であり、勝海舟のお父っつあんの実家も此処、両国公園とあり、一度は見て起きたい場所であった。
期待感に胸膨らして訪れたが、しかし殺風景な小さな公園に碑以外は何も無く、屋敷姿を、重ね併せることは無理であった。長居は無用とばかり、JR総武線の線路を潜り北側の江戸東京博物館に向かい「天璋院篤姫婚礼時の女乗物」に急ぎ走った。
その眩いばかりの乗物は前回ここで書いた通りで、まあ満足した下町歩きであった。

それから数日後、旅巡りの記憶が冷めやらぬ内にと、パソコンに画像データをセーブし、一通り眺めていく内に、良く見かける海舟の銅像が欠落していることに気づいた。(遅い!!)
ネットで調べていく内に、その銅像は生誕の地とは全く無関係な隅田川の吾妻橋南側にあることが判った。
このままでは何ともすっきり納まらず、日を改め浅草へ向かう。

吾妻橋を越えてアサヒビールのあった場所が公園風に再開発され、その植え込みの一角に天を仰ぎ、呼びかけるような姿の真新しい勝海舟の銅像が輝いていた。
広々とした空間に何か、土地に関わる人物像として、たまたま勝海舟が選ばれ、街の活性化に一役買って貰おうと据えられたと思われる。一方では両国公園の一角にさびれた生誕の地碑とは好対照の姿であった。
どうせなら、両国公園に併設して貰えれば、当人も縁の地に喜んで貰えると思うし、土地に不案内な外者には助かるのだが・・・。

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