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篤姫が伝えたかった言葉

Img0000411111 戊辰戦争で江戸無血開城した後、新政府軍と旧幕府軍との戦いは関東から東北へ移っていく。旧幕府軍の会津藩は急迫する新政府軍に若松城下で防御するが、新政府軍に突破されてしまう。西郷頼母家では家に入ってくる薩摩藩の前に一族21名の死、その日の内に婦女子も多く100名以上の大量な死を数える凄惨な戦いであった。

会津藩は籠城したが小田山からの新政府軍の無数の砲撃を浴びせられる。大量な犠牲を生み降伏する。写真は天守に無数の傷跡が残されているが、明治7年取り壊される。現在の天守は戦後復原されたものである。

折しも幕末・維新の激動を敗者の側から描いた長編歴史小説「会津士魂」などで知られる作家の早乙女貢(さおとめ・みつぐ、本名鐘ケ江秀吉=かねがえ・ひでよし)さんが昨年12月23日、胃がんのため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。
先祖に会津藩士を持ち、戊辰(ぼしん)戦争で「逆賊」とされた同藩の歴史にこだわった。
会津側の資料や手記などを駆使して落城に至るまでを再検証。誇り高き藩士たちの悲劇を描いた「会津士魂」は月刊誌で18年間にわたって連載され、89年、同作で吉川英治文学賞を受賞した。

大政奉還、15代将軍慶喜公は江戸城無血開城で蟄居の身で救われたが、官軍の厳しい追求の手は会津藩に及んだ。慶喜を必死に支えたのは松平容保、定敬の会津藩であった。
天璋院篤姫が最期に語った「徳川は 亡き家定さまのお心を・・・孫々に伝える事こそ我が道と思い定め、果たすべきことが天命」を早乙女さんが現代まで自らそれを追っていたような感じさえする。

天璋院篤姫の大河ドラマをご覧に成られたか、不明であるが、大河が終わった時期に期せずして、静かに眠りについた。一度TVで会津戦争を語られる姿を拝見したが朴訥した姿が印象的であった。ご冥福を祈る。

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コメント

 極端に言えば衝撃でした。

 早乙女貢氏がお亡くなりになったのですね。
 NHKの「その時歴史~」などでお姿を拝見し、また他方では早乙女氏は、会津の幕末の出来事を探求して本を出版されていた事は
存じておりました。
 私は西国の人間ですが、幕末に魅了され
県の図書館で、片っ端から幕末関係の本を読んだものです。
 早乙女氏の著作も読んだ事でしょう。

 優れて、たくさんの知識をようした人たちが亡くなるのは残念な事ですね。
 早乙女氏、有難うございました

投稿: 鳴門舟 | 2009年1月 8日 (木) 20時08分

早乙女貢さん、良く御存知のようで
ご先祖から会津の魂の血を継ぎ、著作活動を続けられた異色の歴史作家でした。
歴史フアンに支えられた一人なんでしょうね
丁度大河ドラマが終わった時期に静かに息を引き取るのは象徴的でした。

投稿: 隠れ新八 | 2009年1月 9日 (金) 06時16分

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