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薩摩・長州の最終決戦

20090113k0000m050073000p_size51全国高等学校サッカー選手権は広島皆実が優勝した。
エッッ!!サッカーと幕末、何故
う~ん、その戦い振りが幕末に置き換わるのである
時勢を物語るように、かっての権威をふるった徳川(帝京)も、力を付けた外様を初めとした群雄割拠の時代に、最早抑える力なく、敢えなく初戦で敗退する姿は象徴的であった。
全国諸藩が倒れる中、最後まで生き残ったのは、やはり薩摩藩(鹿児島城西)と長州藩(広島皆実)であった。
薩摩藩はエースストライカーの西郷隆盛(FW大迫勇)を中心に決勝まで勝ち上がってきた。
一方ではスターを要しないものの、徹底的に訓練され、組織で戦う高杉晋作率いた寄兵隊を要する長州藩(広島皆実)であった。Img00009

並居る軍勢のなかで、両藩が最後まで残ったのは攘夷を旗印に夷狄と戦ったが、薩英戦争や馬関攘夷戦で惨敗した両藩であった。その敗北をきっかけに尊皇攘夷から尊皇倒幕に変わり、一早くイギリスから近代兵器を大量に買い入れ装備し軍の装備強化をはかり、そのエネルギーを倒幕に向け、薩長連合の形で遂に倒幕を果たした。
新政府軍となった両藩は如何にその主要ポストを締めるか、自ら戦う相手とし、期せずして両藩が天下分け目の国立競技場での戦いとなった。
戦場の戦いを一目見ようと万余の応援に国元から駆けつけた薩摩藩・長州藩の応援でスタンドは満員となった。両軍はラッパを吹き太鼓を打ち鳴らし、これも近代化の象徴でもある西洋式音楽隊を繰り出し、統率された応援合戦が繰り広げられ、会場の雰囲気は両藩の戦いにヒートアップしていった。
審判の一笛でキックオフで戦いの火蓋は切れれた。試合は流石の評場通り、西郷隆盛の才覚と果敢な個人プレーでゴールを揺るがし、薩摩藩が先制するも、組織で戦う寄兵隊の長州藩が徐々に薩摩の動きを封じ、直ぐに高杉晋作(FW金島)のボレーで同点に追いついた。
両軍あい譲らず、決勝に相応しい戦いで2:2にもつれ込み、後半やはり高杉晋作が頭で合わせ、ゴールを揺るがし、突き放し、これが決勝点となり、長州藩が勝利をもぎ取った。
戦いの終了を合図に、戦場(ピッチ)に天を仰ぎ、うつぷせ泣き崩れる薩摩兵が象徴的であったがその中にあって、終始平静を装い敗戦の責任を一人背負い、自責の姿の西郷隆盛には涙はなかった。
その姿はまるで西南戦争で戦いに破れ、自ら潔く介錯で命をたった西郷の武将の姿であった。
一方では薩摩藩のようなスタープレーヤーが居ないものの、野戦を挑み、組織的で洗練された戦略の寄兵隊の動きが、薩摩藩より一歩上回ったようで、勝利の女神は長州藩に輝いた。
下馬評で圧倒的に薩摩有利の中で、西郷隆盛の重砲に頼りきった薩摩側の欠点を付き、当初開いた砲門も、それ以降は徹底的に封じ込んだ戦略が活かされたのでなかろうか。
戊辰戦争で寄兵隊は最強の軍団として、活躍した、そんな姿がこの決戦の姿であった。
何故是れ程までに強かったか、草莽の志士達である寄兵隊が登録25人中11人がJ1広島のジュニアユース出身者で、ユースへ昇格できなかった選手が高校に入って成長したのも大きいと言われている。

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