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駿府の国で篤姫語る

江戸無血開城は脈々たる約300年に亙る徳川幕府の終焉を告げ、歴史的にも大きな節目である。
大河ドラマ「篤姫」でもドラマ後半の大きな山場でもあった。
慶応4年(1868)3月14日幕府の陸軍参謀 勝海舟が江戸100万市民を悲惨な火から守るため、西郷隆盛と会見し江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の行われた薩摩藩屋敷跡の由緒ある場所である。
しかし、この「勝・西郷会談」ばかりが歴史的にも大きく光を浴びているが、この会談はある種セレモニー的なもので、実質的な打ち合わせは、西郷らが江戸に入る前に駿府(現静岡)へ幕臣山岡鉄舟が西郷の所に出向き、歴史的な会談が行われている。Image211

駿府の国、東海道府中宿、かっては本陣もあった伝馬町通り。この左側の建屋で西郷と山岡が会談した。

既に西から朝敵徳川慶喜を討つと東征軍の渦が、江戸城を目指しやってくる中で、危険を冒し官軍参謀の西郷隆盛の懐所に飛び込んで行けたか、その意義ある交渉の地に飛んで行きたかった。
その駿府、府中宿は江戸から約44里(175㎞)、西郷と山岡が会談後、富士山の秀麗を仰ぎ、駿河湾沿いに、箱根を越え3日後に江戸に入城している。
そんな長い距離を新幹線こだまで約1.5時間であっと言う間に運んでくれ、お小遣いさえあれば気軽に赴く事が出来る。
静岡駅に近い、伝馬町通りが旧東海道で、背後に駿河城を控え、かっては本陣などがあった賑やかな場所であるが、繁華街の一等地として開発されその面影が殆ど見えないが、その一角に、会談の地として西郷と山岡のレリーフが飾られてあった。
その会談の経過、場所については何れ、当サイトで詳しく書いてみたい。Image11

駿府城の復元された二の丸建屋

折角、此処まで来たのであれば、関連地も見てみたいと足のむくまま、家康の姿を色濃く残す駿府城跡や慶喜公が謹慎の身として20年近く過ごした「浮月朗」など終日たっぷり楽しめた。
駿府城の復元された二の丸建屋の城内に身を置きタイムスリップし、建物の重厚さを味わい、城郭の一角の紅葉山庭園で風情を味わいながら、濃茶と和菓子にしばしの休息を取った。
ん~ん、この渋みに加わる甘さが何とも繊細な風味が口一杯に伝わり、流石名産のお茶と感服する。
茶を接待する、二人の元お嬢様から、他にお客も居なかったから「どちらからですか?」と声を掛けられ「東京」からと応え驚いていた。
その駿府来城は「大河ドラマ篤姫」から江戸無血開城の「西郷と山岡の会談の地」がどうしても見たかったのが動機付けと話したら、お二人とも、「篤姫」フアンであったようで、庭園の茶室は思わず「篤姫」談義で盛り上がってしまった。
お互いに見ず知らずの間なのに、こうした取り持ったご縁が「篤姫」であったことの影響の大きさを改めて、思い知らされ、ここ駿府で生れた絆が嬉しかった。庭園に植樹された「葵」の葉がこれから徐々に温かくなると土から芽を出し、その姿がまさに葵の御門の形にと教えて貰う。家紋しか知らない拝にとって、此処は葵の葉で覆われる徳川の筋金入りの聖地であることを認識した。

最後に駿河城を見下ろす「静岡県警察本部」に行って見なさいと教えられ、特に悪い事はしていないが場所が場所だけに、多少の負い目を感じながら、怪しまれず、なるべく平然と警察本部の22階に上がって見る。Img_467611

県警察本部22階から360度の景観をたっぷり楽しむ。

遥かな眺めは駿河湾から伊豆半島、駿府を包み囲み立ちはだかる日本平、遥か遠い江戸に向かった東征軍の行く手を追ってみた。

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最近の篤姫に関するブログを見ていると、皆さん非常に関心があるんだなぁって感じま... [続きを読む]

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