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もう一つの「江戸開城西郷・勝の会見の地」

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<池上本門寺松涛園>

時の将軍慶喜は鳥羽伏見の戦いで破れ、幕府軍を大阪に置いて京都守護職松平容保ら僅かな幹部を密かに連れて開陽丸でさっさと江戸に逃げ帰ってしまう謂わば"敵前逃亡"である。
慶喜は既に朝敵と名を付けられ、「これはかなわぬ」と上野寛永寺で恭順、謹慎の意志を表している。
「慶喜、大逆無道、罪死に当たる~」と気負い立ち、薩長連合とした東征軍が江戸に迫ってくる。
江戸を戦場の場として火の海になりかかる所をまさに水際で戦争を回避したのは東征軍総参謀西郷隆盛と幕府の陸軍参謀の勝海舟の会見である。
江戸開城西郷・勝の会見の地が田町の薩摩藩蔵屋敷で行われたと言われ記念碑が建っている。
ところがもう一つ江戸開城西郷・勝の会見の地の記念碑が池上本門寺松涛園別の所にある。
池上本門寺は東征軍の本陣として使われた所で、その境内の一角に松涛園という広い庭があり、慶応4年(1868)4月に其処で会見されたと言われいる。
松涛園は年を通じて特別な日だけに公開されるが普段は公開されておらず、その会見の碑は余り人目に触れられず遠い存在である。
しかし松涛園は完全に門戸を閉ざしているわけではなく、特別に入場する方法がある。
それは本門寺が発行する試験問題が11問あり、それを答えれば晴れて入場を許される。
はてさて、どんな問題であろうか?
・此経難持坂は何段か
・総門の額を書いた江戸時代の文化人で誰か
と言う類の問題が出てくるが、いきなり問題集を貰っても、何も見ないで答えられる人は殆ど居ないと思われ、始めてくる人には難問である。
しかし、車の免許の問題とは違って、何を見ても構わないので、質問された内容を追って境内を廻れば案内板に出ているので、それを転記すれば良いのである。
要は境内をじっくり廻り、案内板を読み理解し、散策した暁には、本門寺の理解を深め、初めて名誉ある、入門の許可が得られるのである。ヒントは何をどう見るかが、鍵を握る。
お寺でパンフレットを貰い、解答を書き、朗峰会館フロントに提出し、チエックを受け入門許可を貰う。  Image111_2

<四阿の一つ、松月邸>

松涛園は小堀遠州の造園による池泉回遊式の名園である。池を中心に囲むように四阿(あずまや)があり、今は無くなってしまった四阿の一つで西郷隆盛と勝海舟が江戸城開城の会見をしたと言われており。会見の碑が立ってあり、東京都史跡に指定されている。会見がどう行われたか、田町の薩摩藩蔵屋敷との関係が不明。
池を見下ろす小高い一角に四阿があったところで、鬱蒼とした樹木に覆われ会見の碑が建っている。
この石碑は昭和16年西郷隆盛の甥に当たる西郷従徳の揮毫になる。人気は全くなく、手入れの行き届いた庭園の風情を独り占めし、贅沢な気分で回遊出来る。都会の喧騒から離れ、聞こえるのは鳥のさえずりと、池の水音が、幕末の舞台を再現している錯覚に落ちいる 。
こうしたハードルを乗り越え園内に入り、身を浸す喜びはひとしおである。

会見の碑はここで掲載されている池上本門寺松涛園 

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