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天地人「八王子城落城」

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戦国武士の右側が鉄砲隊で左側が槍隊の装束、(八王子城址歴史資料館にて)

天地人も佳境に入り、北条氏攻め落としに舞台はいよいよ関東地区に戦場は移り、豊臣勢の八王子城の攻め落としに、ドラマの展開を期待したが、僅かな取り上げで、終わってしまった。
せめてもと「天地人紀行」でも紹介されるかなと思ったが、それもなかったので、此処で紀行してみたい。

八王子城址は戦国時代末期小田原城主北条氏康の子氏照が関東の西の守として八王子城を築いた。
城は山頂に本丸、ふもとで政務を行い、客を迎える御主殿、城山川を堀とした自然立地を活かした山城であった。
しかし天正18年(1590)豊臣秀吉の関東征伐で猛攻にあい、わずか1日で落城した。北条方3~4000に対し、豊臣側はその3倍の15、000と圧倒的な数で殲滅させたと言われている。
豊臣側の連合軍には上杉景勝と配下の武将達も城の攻め落としに参加している。
八王子城が落とされ、捕虜は小田原へ連行され、難攻不落であった、小田原城も戦いは無理と降伏し、開城、北条氏政、氏照兄弟は切腹する。
そのあちこちに遺構を残し、400年以上立った今、一部の復元が行われている。 その一部が御主殿に渡るため城山川にかけられた曳橋である。当時の橋の台部が残されているだけで、どのような橋であったか解らないが、戦国時代風にデザインし、復元されている。

血で染まったと言われる滝壺、八王子城で討ち死にした武士の供養塔と言い、戦場の痕跡が残されている。

Img_15681 本丸付近の稜線から、かっての北条の領地であった、南関東の一円を眺める

昨年の今頃、八王子城址を訪れ、400年前の戦国武将の落ち武者の化身か、山全体が湿気を帯び、蛇の巣窟のようで、"まむし"と二度も遭遇する不気味な戦跡歩きであったことは、本ブログでも書き留めた。
その草深く、恐ろしい"まむし"との出会いを覚悟して、登ってゆくと約1時間程でかっては北条が納めた南関東の一円を見渡せる。

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日野を駆けめぐる

050800077月の第3日曜日、かねて予定していた仙台のお客様9名を迎い入れ日野市内観光案内が予定通り実施された。多少の風もあったが、この時期、湿気も高く、33、4℃の世界での外歩きは大変厳しかった。
早朝に仙台を立ち、10時30分頃高幡不動で出迎え、お不動さんを中心に高幡地区を廻り、モノレールで日野地区に移動、巡回し、17時30分に日野駅に見送るタフなコースであった。
既に1カ月前にスケジュールを決定し、廻るコースも決まっていたが、日野宿の舞台を背景にあれも、これも台詞が頭の中を駆けめぐり、余り整理が付かないまま、学生時代の試験前の準備同様に結局一夜漬けになってしまった。
高幡不動尊での格好良い歳三銅像の前で皆さん弾んでようである。殉節両雄の碑の前で時の明治政府の建立許可に時間を要した事。近藤、土方両雄の生い立ちから戊辰の戦いで亡くなるまでの記録が残され、今回のプロローグが此処から始まる。宝物伝の新選組関連資料にお不動さんと新選組の関係の深さを認めて頂く。フリーマーケットで賑わう境内から出て、蕎麦屋で昼食を取り、冷房の心地良さに腰が上がらず早くも、早くも遅れ気味になる。

0606009711トンネルを潜り、樹木に覆われた向島用水で、牛額草を見付け、石田散薬に蘊蓄を述べるが、お相手はお医者さま、突っ込みが入る前に程々にした。新井橋を越え、雲の切れ目に僅かな富士山な姿に歓声も上がる。相変わらず人並み切れずの土方資料館に到着するも、何故か説明は無かった。
日野高校の近くで忌野清志郎の出身高と紹介したが、若い女性達は驚きの声に、案内人も得意満面であった。
高幡不動の末寺「石田寺」に到着。歳三の墓前で御参りする。歳三は墓石背後の千人同心土方勇太郎とは剣術仲間、宇都宮で出会い、「もう俺は日野に帰れぬ」と言い残し北に向かった。
万願寺から甲州街道口にモノレールに乗り、高台からの炯眼を楽しむ。
激しい車の旧甲州街道に出て、アカデミックな洋館の由緒ある有山家前で松本良順との縁戚関係など説明する。            

04110004a_2                                     「ああ~ようやっと我が屯所本陣に到着」館内説明は仲間にお任せ、気配りの冷茶サービスに喉を潤し、畳み部屋で休みを取り、説明に耳傾けて頂く。
土間で若い男女のカップルに同行の願いがあり、新たに群れの中に加わって頂き更に賑やかになった。
本陣背後の佐藤資料館で着物姿の福子館長さんに出迎えられ、熱の入った好演に皆さん、感動を覚える。
佐藤家の檀家寺「大昌寺」へ彦五郎とのぶの墓石で手を併せる。墓石に刻まれた、嘉永2年の記録に起きた事件の重さを、更に幕末の時代背景におきた薩摩浪士捕縛の「壺伊勢屋事件」など紹介する。居並ぶ墓石に眠る人々など「大昌寺」は正に歴史の宝庫である。
旧甲州街道を渡って北側の井上源三郎資料館へ、その時、既に閉館の16時を過ぎ、特別に開けて頂く。井上雅雄館長さん自ら天然理心流の稽古に励み、ご案内の語り口が素朴で実直そうな雰囲気が益々源さんを彷彿するようである。

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資料館から沖田家へ養子に入った林太郎の生家の前を通り、いよいよ最後の井上家檀家寺の「宝泉寺」へ向かう。旧墓地で絵島生島事件に連座した金丸四郎兵衛の墓地へ向かう。立てかけてあった案内板も朽ち果て、殆ど読めなくなってしまい、 知る人ぞ知るで、こっそり埋もれていた。
無病息災の願をかけ、撫でた墓石の角が丸くなり、先人の言い伝えに習い、皆さんにも撫でてもらった。
その南側に期せずして大河ドラマの最中にお亡くなり、戒名に「誠」の文字を入れる新選組を解きあかしてくれた谷春雄さんの墓石に手を合わせる。
いよいよ、最後のエントリー井上家の墓に、墓地に大河以来の新選組の旗が立ち、道案内にフアンを大事にする井上家の気配りが感じられる。墓石の前におおきなボックスに大量のノートが重なり、記帳され源さん人気は未だ続いているようである。
「ふう~漸く、日野駅へ」なんとか、時間の余裕を持って到着した。目一杯詰め込んだ新選組の旅は無事に終わった。果たして満足頂けたであろうか、仙台行きまでの長い旅路に別れを告げ家路を急ぐ。   

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明治神宮から絵画館へ

関東地方も前触れも無く、一方的な梅雨明け宣言
日中、35、6℃の猛烈な暑さの世界に、流石ナメクジのような日陰者にはこの暑さは体に応える。
19日(日)市内観光を約2カ月前に引き受けたが、この暑さは想定外であった。本番当日、クラクラ前かがりで倒れたらみっともなく、敢えて日射しの洗礼を受け、本番前の練習を代々木駅から、明治神宮へ、更に聖徳記念絵画館へと歩いてみた。

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ガンガン冷房の効いた電車の中から代々木駅前の雑踏の世界、お天道様は容赦なく襲いかかりむせ返る暑さは半端ではない。北参道から、樹木で覆い尽くされた神宮の社のなか、砂利で敷きつめられた道をザクザク音をたて本殿に向かうが、木陰の自然の中、気分的に涼しい。
本殿へ到達、湧き出るお清め水に、口に含み、既にヒートアップした体に何よりの涼気であった。
こんなくそ暑い日に関わらず、欧州系から中国、韓国系の圧倒的に多い外国人の数に驚く。神格化された明治天皇をまつる、この森厳な独特の世界は日本の特異な文化として、観光のメッカの一つであろう。本殿に置かれる案内パンフレットに英語、中国語、韓国語、日本語と多種に渡り置かれ、国際的な観光拠点と思い知らされる。
社殿で御参りし、心清らかに、文化館・宝物展示室へ行く、遺品、工芸品、絵画、刀剣などあったが、差程、心に響く物はなかった。
併設されてるレストランでビールの姿になびき、思い切り喉を潤し、その一時は最高の気分であったが、それ以降の歩きには余計に熱くなってしまい灼熱地獄の世界に入った。余力を振り絞り体に、笞を入れ、明治神宮から、千駄ヶ谷の国立能楽堂の脇を通り、千駄ヶ谷徳川屋敷跡を確かめ、国立競技場の脇を通り、漸く聖徳記念絵画館に到着する。

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明治天皇の誕生から大葬に至る80点の縦3m、横2.7mの巨大な日本画、洋画の世界に幕末の足跡を含め新生日本を辿る、一大歴史絵巻物を見ることができた。
「大政奉還」「鳥羽伏見の戦い」「江戸開城談判」など、お馴染みの画題をじっくり見る事ができた。
もう一つ、徳川邸おもいで話「花葵」で登場する川村清雄の作品「振天府(しんてんふ)」を見たかった。川村家は代々幕臣の一人、清雄は海外で才を磨き、馴染みの徳川家達、天璋院、家茂、慶喜の肖像を残している。
「振天府」は日清戦争の戦利品と吹上御苑に用意した陳列庫「振天府」と幻想的な戦場の世界描かれている。

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館内は暑い空気は淀み、吹き出る汗の中、まさに我慢大会のようであったが、熱心な来館者が僅か訪れる中、巨大な歴史物語絵巻物語に見入る事が出来た。
一巡後、中央広間の巨大な空間吹き抜けの作りに感動し、石段の玄関口は爽やかな風にほっとさせられた。

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「坂の上の雲」のたなびくあたりで、杯を

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<写真は故司馬遼太郎>

歳を重ねて行くと、仕方ないことであるが身近な人が、バタバタと鬼籍入りしていく。
色々法事に出席したが、特段の思いがこの人であった。
一緒に席をならべ仕事をしたエンジニアの一人で、理想もプライドも高かった。
それが会社間の連携業務で別会社に移されると言う運命が大きく変えてしまった。環境の変化に乗り切れず心労もあったようで、53歳で人生一番油の乗った時期に亡くなられた。
大変話題の多い人物でもあったが、没後も話題は欠かせなかった。
千葉でのキリスト教の葬式で、参列者が一同に集まり、バラの花を飾り、賛美歌を歌い、見送るなど、葬式は殆どが仏式世界なのに、初めて接するキリストの世界は独特の雰囲気の中、大変印象的な葬儀であった。
葬儀も終わり、葬儀参列者に、奥様からの以下のご挨拶があった。
このご挨拶も葬儀屋が用意する決まり決まった形式的な挨拶分が殆どなのに、文面までがきちんと手に及んだ言葉であった。
「ここ数年故人は、司馬遼太郎の小説を愛読しておりますが、今も悠々と『坂の上の雲』のたなびくあたりで、杯を手に「世に棲む日々」を一人静かに想いおこしているような気がしております。・・・」司馬遼太郎を背景に簡潔にかつ妙を得た没後の姿を紹介されて、心響くものであった。
生前、本人から余り語る事も無かったが、まさか司馬フアンであることも知らなかった。
その言葉に本人は元より、奥様も司馬作品を理解する、フアンの一人であることが、文面から充分に感じられる。この挨拶文から思わず歴史に無縁であった輩も司馬作品がどんなものと、司馬作品を通じて幕末中心の世界に入ってしまった。
一方ではこれ程、しっかりと洞察されている奥様に見守れながら、旅立つの本人も短い人生ではあったが、幸せ者だとも思えた。
あの長編大作、読み落とすのに環境とエネルギーが必要である。
拝が色々事業所が変わっていくなか、旧南多摩郡の東京の西の外れから、華の都、横浜までの往復4時間弱の通勤地獄であったが、座って行ける浜線が唯一の私設図書館でもあった。
仕事を離れ、今は悠々たる世界に、金は無いけど、時間はたっぷりある。しかし、今読めと言われても中々手が出せない。仏様が幕末の世界に招いてくれたのだった。

司馬との出会い、関わりについて整理した。司馬遼太郎の世界へ

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本陣も七夕様

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鬱陶しいなあ~と思いつつ、今まさに梅雨本番である。
朝から降る雨も、時折激しくバシャバシャと音を立て降っている。予定した日が、変わって欲しいとのことで引き受けたが、まさか天気まで読みきれず、こんな日に本陣勤務になってしまった。
建物の内外には季節感漂う、七夕飾りが目一杯飾られ、来館者にも願い事をと書いて貰おうと短冊まで用意されたが、生憎の雨に七夕の願い事をよそに出足は全く鈍かった。

七夕期間中にこうした日本古来の伝統行事の言い伝えを追いかけている先生が来られ、奥の居室に赤い絨毯しいたり、南側の廊下に舞台を造り、季節の野菜や果物、繭から手回しで糸を摘む機械などを飾り付けていた。
100坪の建屋に軒に伝わるリズミカルな雨音と土間に置かれたカセットから流されるBGMが余り、気障りにならず、日本家屋の雰囲気作りを演出していた。

そんな折りに二人連れのおばちゃんがザクザクと中庭に音を立てて着たが、土間を覗き込んで、声をかけるまでもなく、場違いとばかり、逃げて行ってしまった。(笑い)
「来ないですね~」と思わず先生から声がかかる。
「この七夕時期の平日の生憎の天気ではこんなものでしょう」と半ばこの雨が羨ましかったが騒々しく、ざらついた世の中、追われることなく時計が止まったような空間を一人じめ出来るのは何とも贅沢なこととも思えた。
飾られた床の前に、古来七夕は大陸から渡った、行事であるが、それぞれの言われに、日本人の感性で実に素晴らしいものを残していることを先生から教えて頂いた。
例えば
この時期に行われる「盆踊りは何故反時計に廻るのか?」
時計方向は時が進むので、今から未来への世界であるが、反時計は過去を振り返る、つまり仏様を迎える、お盆の行事と連動した、一つの大事な約束ごとでもあるようだ。成るほど、つまり仏様、先祖様を迎える、大事な儀式で反時計廻りのようである。
更に仏様を迎える時は馬で、お別れし送る時は牛を使っている。
ならば「佐藤彦五郎」を馬で迎え、この時ここに居るのではなかろうか・・・。

泰平を極めた幕府の時代も終わりを告げ、官軍に追われるなど千変万化の幕末を何とか乗り越え、維新の時代を迎えたが、勇や歳三も幕府の終幕を追うように亡くなってしまった。
甲陽鎮撫隊の勇達に手助けをしたことが官軍に割れ官軍に追われ、五日市の大久野村の羽生家に一緒に逃げ隠れた最愛のおのぶさんも明治10年に亡くなり、彦五郎は一人残されてしまった。
名主など要職は既に息子の源之助に譲り、悠々自適の世界でここから眺めながら激震の過去を振り返り、そろそろ彼らの元にお呼びがかかるのではなかろうかと思ったに違いない。
庭先にはざくろの真っ赤な花が開き満開であった。思い切り四肢を伸ばし、同じ目線でこの広い庭の姿を重ねて見た。季節感漂う七夕さまをここでじっくり味わう事が出来た。

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