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「坂の上の雲」のたなびくあたりで、杯を

Siba304

<写真は故司馬遼太郎>

歳を重ねて行くと、仕方ないことであるが身近な人が、バタバタと鬼籍入りしていく。
色々法事に出席したが、特段の思いがこの人であった。
一緒に席をならべ仕事をしたエンジニアの一人で、理想もプライドも高かった。
それが会社間の連携業務で別会社に移されると言う運命が大きく変えてしまった。環境の変化に乗り切れず心労もあったようで、53歳で人生一番油の乗った時期に亡くなられた。
大変話題の多い人物でもあったが、没後も話題は欠かせなかった。
千葉でのキリスト教の葬式で、参列者が一同に集まり、バラの花を飾り、賛美歌を歌い、見送るなど、葬式は殆どが仏式世界なのに、初めて接するキリストの世界は独特の雰囲気の中、大変印象的な葬儀であった。
葬儀も終わり、葬儀参列者に、奥様からの以下のご挨拶があった。
このご挨拶も葬儀屋が用意する決まり決まった形式的な挨拶分が殆どなのに、文面までがきちんと手に及んだ言葉であった。
「ここ数年故人は、司馬遼太郎の小説を愛読しておりますが、今も悠々と『坂の上の雲』のたなびくあたりで、杯を手に「世に棲む日々」を一人静かに想いおこしているような気がしております。・・・」司馬遼太郎を背景に簡潔にかつ妙を得た没後の姿を紹介されて、心響くものであった。
生前、本人から余り語る事も無かったが、まさか司馬フアンであることも知らなかった。
その言葉に本人は元より、奥様も司馬作品を理解する、フアンの一人であることが、文面から充分に感じられる。この挨拶文から思わず歴史に無縁であった輩も司馬作品がどんなものと、司馬作品を通じて幕末中心の世界に入ってしまった。
一方ではこれ程、しっかりと洞察されている奥様に見守れながら、旅立つの本人も短い人生ではあったが、幸せ者だとも思えた。
あの長編大作、読み落とすのに環境とエネルギーが必要である。
拝が色々事業所が変わっていくなか、旧南多摩郡の東京の西の外れから、華の都、横浜までの往復4時間弱の通勤地獄であったが、座って行ける浜線が唯一の私設図書館でもあった。
仕事を離れ、今は悠々たる世界に、金は無いけど、時間はたっぷりある。しかし、今読めと言われても中々手が出せない。仏様が幕末の世界に招いてくれたのだった。

司馬との出会い、関わりについて整理した。司馬遼太郎の世界へ

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