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彦五郎の晩年に思う

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この週末、鬱陶しい梅雨も一段落、厚い雲に隠れていたお天道様もようやく顔を出し、ようやく夏らしくなってきた。暑さを演出する油蝉が、この時とばかり騒ぎ、短い命の最後をかざり、仰向けにひっくり返ったのが、多数庭先に落ちている。夏休みとお盆で、両親に手を引かれた小中学生が、此処、本陣に多数みうけらるのもこの時期だからであろう。幕末好きのお父さん、お母さんに連れて来られるのはごく自然であろうが、最近はその逆で小中学生が新選組に興味を持ち、子供の誘いで来る場合もあり、とても頼もしく目に映る。

写真は本陣建屋の南側、中庭に面する「中の間」である。幕末維新の激動時期に日野宿農兵隊や新選組が生れ、内乱の渦に入って行くが、15代将軍慶喜公の大政奉還により、新たな時代を迎えてゆく。彦五郎は維新以降も区長や南多摩郡長を務めるなど公職に携わっていたが、その要職を解かれ、村事と俳句三昧の世界に入り、この「中の間」で悠々と余生を送った。

「行く先は知らねど知れて夏野越」と言う俳句を彦五郎は残している。
死んでから行く先のことまでは知らないが、もうそろそろお呼びがかかる頃だということは判っている。それにしてもこんなに弱った体、よくもまあこの夏の酷暑を乗り越えられたものだ、若い頃天然理心流で鍛えたお蔭かも知れぬ。

とふと廻りを見たら、妻も天然理心流の仲間も、殆ど居なくなってしまった。
彦五郎は自分の人生を振り返って、満足し、ああ~そろそろ、おのぶさんの所、近藤や土方の所へ行けるなあ。言う事を思い浮かべながら、亡くなったのでは無かろうか、折しもお盆の時期、こんな春日庵盛車(彦五郎の俳号)の俳句が浮かんでくる。

因みに彦五郎は明治35年9月、76歳で没している。

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