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風雲「八王子城」

Image111 <城代、横地監物が使われた兜>

「天地人」も佳境に入り、家康率いる東軍は大坂を目指して進軍、三成率いる西軍はこれを阻止しようと陣を敷き、両軍は「関ヶ原」で向き合う形となる。大砲など重火機を使い大量な騎馬と兵士の総力戦がダイナミックに繰り広げられた。
当サイトも「天地人」に関わる限定された地域の情報記事を書いたが、関心の高さがサイト訪問のヒット数に繋がり、改めて大河ドラマの影響の大きさを感じさせられる。

そんな背景から八王子城の攻め落としをもう少し追ってみる。
豊臣秀吉と徳川家康による小田原城攻めが始まり、北条氏照は主力の精鋭数千を小田原城に向ける。このため八王子城は横地監物、中山家範などの僅かな老将と戦場経験の浅い雑兵だけが残された。
八王子城は天正18年(1590)豊臣方、上杉景勝、前田利家の圧倒的な数の前に半日あまりで一気にのみ込まれてしまう。
八王子城が落城し、中山家範は30人余りを斬り倒し自刃する。横地監物は山伝いに檜原城に向かい、再起を図ったが城が落ち、小河内で切腹にしたと伝えられている。

八王子城は自然立地を活かした山城であるが、その城下の一角に自宅の一室を開放して、当時の戦いの武具が並べられた私設の「八王子城址歴史資料館」がある。周辺には当時の家来団も住んで居られるようで、当時の家臣団の先祖に持つ山口家が個人的に運営している資料館である。
資料館として案内パンフレットが有るわけではなく、その存在は知る人ぞ知る、コアーな場所の一つである。
八王子城の戦いを物語る歴史的な遺品の数々が一室に所狭しと置かれ、戦いに散っていった往時の武将の姿を確かめられる。
その一つが豊臣方を迎え撃ち、中心となった横地監物が着用した兜が目を引いている。

Img_15071 <「千人同心」の槍隊、鉄砲隊の武具>

徳川家康が関東に入国し、織田・徳川連合軍に破れた武田の落ち武者や八王子城の落城で豊臣側に落とされた
小田原北条氏の浪人が集められ徳川幕府に忠誠を誓った「千人同心」が生れた。
「天地人」で放映された「関ヶ原」の戦いではこの「千人同心」が徳川の中核として出陣し、活躍している。
以来、「千人同心」は徳川幕府への忠誠心が極めて高い集団としてあり続け、幕府瓦解まで命運を共にした。

誉れ高き「千人同心」の武具が所狭しと並べられ、戦国武将の戦いの息づかいが身近に感じられる。こんな姿で身を固め「関が原」で戦ったのか、手の届くところの武具を前にわくわくしてくる。

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