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「坂の上の雲」と「近衛師団」

いよいよ、「坂の上の雲」が放映された。
秋山好古が陸軍大学校時代にコルーマン髭のドイツ軍人で教官の「メッケル」が教壇に立ち、強国となった背景に近代兵学を教える如何にも厳格な教育姿が見られた。好古はフランス留学が決まった旧松山藩主久松家の若殿に帯同してとともに渡仏することになり、フランス仕込みの騎兵を学ぶ。
そんな好古であるが阿部寛に置き換えるようにかなりの男前であった。
風貌は当時では日本人離れした長身で色白、大きな目であり陸軍大学校時代はその厳めしい教官のメッケルから、ヨーロッパ人に間違えられた言わしめるほどであり、故郷の松山や留学先のフランスでは女性にかなり人気があったようである。

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<旧近衛師団司令部>

一方、明治政府は、政府直属の軍隊である「御親兵」を創設しこの御親兵は、「近衛兵」として改組され、平時は天皇や皇居の警護などに当たり、戦時には戦線に参加する。徴兵令で集められた鎮台兵を配下に、近衛歩兵大隊を基幹として近衛歩兵連隊が編成される。
好古は日露戦争など輝かしい功績から13代目の近衛師団長となる。

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<北白河宮能久親王>

因みに近衛師団長2代目は北白河宮能久親王である。親王は上野の寛永寺に入り通称「輪王寺宮」として上野戦争に巻き込まれた彰義隊の盟主に、更に彰義隊敗北により東北に逃避、仙台藩に身を寄せ、奥羽越列藩同盟の盟主になる。幕府敗北した維新に蟄居を命じられ、その処分後、伏見家に復帰、更に北白川宮家を相続する。
プロイセンに留学し、陸軍に身を置き、陸軍中将となり近衛師団長として台湾でマラリアに罹り、死去する。という劇的で数奇な運命を辿っている。

旧近衛師団司令部は北の丸の一画に現東京国立近代美術館工芸館で、明治を彷彿させる姿が残されている。
その近くに北白河宮能久親王の乗馬の雄姿がある。
このように戊辰以降の姿がこの建物、銅像に繋がり、その歴史事実を「坂の上の雲」が呼び起こしている。

詳細は旧近衛師団司令部で掲載されている

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