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龍馬・岩崎弥太郎と岩崎邸

Img_38861_2来年(2010年)は大河ドラマでいよいよ坂本龍馬の出番である。
同じ土佐藩出身で幕末から維新にかけ、海運で時流に乗り、財をなし此処旧岩崎邸を建てたのは岩崎弥太郎であった。大河を意識にするには未だ早いが、4月の休日に館内は大変な混みようであった。

岩崎弥太郎は、土佐藩の貧しいゆえに郷士の身分を他人に売り渡して、浪人となった地下浪人である。
幼い頃から文才を発揮し、漢詩を披露し才を認められる。
吉田東洋が開いていた少林塾に入塾し、弥太郎の生涯に大きな影響を持つ後藤象二郎らと知り合う。東洋が土佐藩に参政するが、この機会に弥太郎も土佐藩に仕える。
慶応3年(1867年)後藤象二郎により起こした藩の商務組織「土佐商会」に席を置き貿易業務を従事する。土佐商会は九十九(つくも)商会と改称、弥太郎は海運業に従事し、更に「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立する。この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて三菱のマークを作った。
維新政府が樹立され全国統一貨幣制度に乗り出した時に、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。後藤を通じて新貨幣制度を事前に知る立場を巧みに利用した現代のインサイダー取引を行うなど、持ち前の才覚と一方では政商として暗躍したドロドロとした面も持ち合わせる。
こうした資金を背景に海運業は上手く廻り、至近国家の近代化、共併せ大型蒸気船による海運事業に新時代の物流を支え、航路は国内に留まらず朝鮮半島や中国大陸にも広げ、三菱の基盤を築きあげた。Img00006

同じ土佐藩出身で保守的な土佐藩の殻を破り、藩を海運から貿易に目覚ますきっかけを生んだのは坂本龍馬であろう。龍馬は長崎で海援隊を組織し物産・武器の貿易を行い、長崎のグラバー商会から買い付けた銃器弾薬を長州藩に転売することに成功した。一方では薩長連合を生み、討幕のうねりを起こし、倒幕後は貿易と海運による立国の夢にかけたが、龍馬は志半ばで凶刃に倒れる。
「貿易と産業の振興が、これからの時代を担うものだ」という龍馬の遺志は弥太郎が継ぎ、成功したのでは無かろうか・・・。
しかし、司馬遼太郎の「龍馬がいく」の中で、龍馬は、弥太郎を「好かなかった」と書いている。
海運はひたすら国のためとする龍馬には、上述の商才に走り資産を成す弥太郎の姿は、受け入れ難いものではと思える。西南の役に伴う物資輸送や明治政府の国策に、いち早く対応し、さまざまな事業を展開して財閥を形成していった。それによって得た財の象徴が、この大きな屋敷と、コンドルの建てた邸宅である。
弥太郎が用意したこの広大な屋敷は明治29(1896)年に完成したが、弥太郎は完成を見る前に明治18(1985)年に亡くなっており、当主は長男久弥の代となっていた。
三菱の事業は、弟の弥之助、そして久弥と継承され、発展していった。
日本政府の招聘により来日した英国人ジョサイア・コンドルの設計によりもので、木造2階建て・地下室の洋館で、本格的な洋風建築。明治期の上層階級の邸宅を代表する西洋木造建築である。
装飾品等々素晴らしい建物ではあり、取り分け2階のピンク色の洋室は豪華なカバー和紙(金唐革紙(きんくらかわし))を使い、時価1億2千万円と言われ、度肝を抜く。地下の多数の柱は耐震構造(非公開)で、大半の構造物が崩れた去った関東大震災もくぐり抜け、今日まで生き残った所にジョサイア・コンドルの心ゆきが感じられる。

Img_39381

南側に用意されたテラスには3ッの押しボタンが用意され、それを押すとビールが届けられると言う、庭先を眺めながら、自然の冷気を感じ、リッチな気分でビールの味も格別と思われる。

その豪華な建物とそこで住んだ末裔達の暮らしぶり。そこを舞台に戦後に起きた謎めいた事件など興味は尽きないが此処で紹介する。

旧岩崎邸

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08、江戸城とその周辺」カテゴリの記事

コメント

隠れ新八さま


ブログを訪問さていただきました。
HP拝見しますと
本当に、膨大な数の史跡を訪れていらっしゃるのですね。
うらやましい限りです。
美嘉保丸のあたりなど、個人的には
とても興味のあるところです。そんな
場所まで網羅していらっしゃるのが本当にすごい。

じわじわゆっくりと読み進めさせていただきますね!
そして、次回お目にかかるときまでに
わたしももっと薩摩のことを学んでまいりますね!

投稿: 薩摩おごじょ | 2010年1月13日 (水) 17時54分

薩摩おごじょ 様
ようこそいらっしゃいました。
足腰の立つ内は歩け歩けで、腰に帯刀に非ず、デジカメ持って、思いつくまま徘徊してます。
美嘉保丸とはお隣の八王子千人同心のからみで
追っかけました。
美嘉保丸に興味があるとは以外でした。
華やいだ咸臨丸も末路は哀れですね

模擬帆船の咸臨丸で横須賀沖をミニ航海、勝海舟の気分になりました。
市を挙げて熱心な横須賀も、幕末を大事にしてますね

投稿: 隠れ新八 | 2010年1月14日 (木) 01時10分

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