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信濃町から市ヶ谷へ「岩崎弥太郎」「鮫河橋」などを見る。

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市ヶ谷の帝国データバンク史料館に館長さんを勤める知り合いがおり、特別企画「輝業家」が催しされ見学に出かけた。
近代日本を形作る実業家として渋沢栄一や大河ドラマで話題を呼ぶ岩崎弥太郎など幕末史を飾る人物も含まれ、大変興味のあるテーマであった。
一方では昨年の11月に信濃町歴史散策を当ブログで書いたが、この一角が大好きな幕末史の歴史の宝庫である。
どうせ行くならと、欲張りの小職は余り気負わず散歩気分で信濃町から、四谷を通り市ヶ谷に向かった。
信濃町と言えば今日隆盛を誇る創価学会のビルに席巻されてしまった、街中を通り、「坂の上の雲」で登場する「秋山真之」が住んでいた邸宅跡を辿りながら、路地に迷走し中央線のガードに出てしまった。
鉄橋を潜ると「鮫河橋」の命名碑が建っており、この坂を登れば迎賓館に出ることが判った。その「鮫河橋」は貧民窟として、余り触れられたくない曰く因縁場所である。
明治維新の激動から東京への人口流入は明治政府の手厚い保護の地主制は自作農の生活を追い込み、職を求めて大都市に流れ込んできた。職も無いまま、不安定な賃労働でスラム化し、没落士族もその仲間になることも少なくなかった。明治20年代半ばに東京に70ヶ所に及ぶスラム街が会ったと言われている。
その代表の一つが、谷あいの低湿地「鮫ガ橋」で人口5000人と言う住民がひしめきあって住んでいた。
市ヶ谷台にあった士官学校(現在の防衛庁)青山南町の歩兵第1連隊の兵営、病院、砲兵工廠などの施設から放出される大量の残飯は残飯屋を介して貧民窟の住民にとってかけがいのないのない食料に給された。
米や菜を買う金のない貧民は、この残飯に群がって買い求めたらしい。
そんな過去は忌まわしいものとして語り継がれておらず、元よりその面影はなく、地名の「鮫河橋」の存在も消え去ろうとしている。
昭和18年(1943)住民の強い意志から、町名変更を求め、「鮫河橋」から「若葉町」という名前に変わり、貧民窟のイメージから生れた「鮫河橋」は完全に払拭された。
右手にかっての紀州徳川のお屋敷で赤坂御用地の迎賓館があるが、要人警護の新徴組ではないが、道の要所に異常なほど警官が周辺に多数立っており、ここを歩くだけで、何か監視されているようで、小心者の小職は足早に谷底から抜け出した。
学習院初等科の前を通り、徳川御三家、紀伊殿の広大な中屋敷で維新後に天皇家の東宮御所で現代は迎賓館の前に出る。日露戦争などを経て近代国家になった、国威を示すために、たっぷりお金をかけ、作っただけに一般庶民とはかけ離れた存在である。近寄り難い存在として石畳の道の向こうのはるか彼方に重厚な迎賓館の建物がはるか先にが見え、谷底の「鮫河橋」とは好対照である。

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外堀沿いを四谷駅を過ぎ靖国通りに、手入れの行き届いた植え込みの防衛省の正門に出る。その向かい側が帝国データバンク史料館(TDB)に到着する。
帝国と言う時代を象徴する名前とデータバンクと言う近未来にかける名前を繋ぎ併せ、創業者「後藤武夫」以来古き時代からの生い立ちから2010年に創業110年を迎え、信用調査を提供し、社会的役割や経済発展に貢献されてきた会社なのである。
現在、全国各地に拠点を持ち約3000人からなる社員で蓄積された膨大な企業のデータを収集し、情報サービス業として国内に深く浸透している。
そんな情報収集力を背景に「"輝"業家」の詳細が史料館に設置されたパソコンで見ることができる。
現在の経営者300人からアンケート調査され、明治から昭和にかけて貢献した企業家/実業家ランクアップされている。1位は松下幸之助に、折しも大河ドラマ、「龍馬伝」で話題になった「岩崎弥太郎」や維新で登場する「渋沢栄一」などがベストテンに入り、それぞれフォーカスされ、企業家/実業家の面から更に深く、知ることが出来る。

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「岩崎」は以下のように紹介されている。
土佐藩の郷士出身。「坂本龍馬」率いる海援隊で経理を担当。維新後「九十九商会」の経営に携わり、強烈なリーダーシップで本業の海運業以外にも炭鉱、綱山、金融、倉庫などさまざまな分野に事業を拡大し会社を急成長させる。
明治8年(1873)に三菱商会と改称する。
軍事輸送を手がけ、明治政府からの助成金で国内海運を独占、更に利益を鉱山に投資するなど事業を拡大した。
三菱商船学、三菱商業学校を開校。人材育成にも力を注いだ。

「今日も疲労困憊、明日も疲労困憊」・・・弥太郎の晩年の日記から
仕事が大きくなるのを一人で纏めようとするので疲労困憊してしまった。流石のスーパーマンも膨らんでしまった事業に一人でやるのも限界を感じたのが、人間らしく逸話ざるところ。弥太郎は早くから病床につき、三菱の岩崎フアミリイでやる気満々の大物の小弥太ら4人がしっかりと支えて事業を経襲している。
とまあこんな具合に「輝業家」として選ばれ評価され、面白く紹介されている。
一方常設館では色々、展示に工夫が凝らされているが、とりわけ最先端の情報技術を駆使した画面のタッチ操作でバーチャルリアルテイで同社の深部にまで案内して貰え、見学に華を添えた1日であった。

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