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「坂の上の雲」と榴弾砲(りゅうだんほう)

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何れ、スペシャルドラマ「坂の上の雲」でもこの榴弾砲が光を当てられるだろう。
観音崎へ行った折りに、砲門をやや上向きに構えるこの巨大で異様な28サンチ榴弾砲に出会いびっくりした。
東京湾につき出した岬であるため東京湾防備の拠点として明治13、28年の間、観音﨑各所にレンガとコンクリートによる15ヶ所の近代的砲台が築かれる。これらの砲台は日清、日露戦争に活躍したもので、関東大震災で大破したため大正末期にはすべて廃止されている。この場所は「南門砲台跡」で残念ながら当時を忍ぶ物は残されていない。
外国の軍艦の襲撃を守るため、主要な海岸にはこの28サンチ榴弾砲が据えられた。砲弾の直径が28cm.長さ75cmで飛距離は7800mで、およその目安は対岸の房総半島の富津岬まで飛ぶ実力をもっている。観音崎には当時東京湾を守るためにこの榴弾砲を備えた砲台がいくつもあった。

明治37年、日露戦争の旅順要塞を攻撃するも、難攻不落に第1回の総攻撃で約1万6千人の大量な犠牲者を生み、ながらも落せず消耗戦となった。
築城攻撃だけで要塞は落ちずやはり砲兵火力は絶対必要であると、第1線の前線から大本営に繰り返し弾薬の補給を要求していたが、既に底を付き送れないのが当時の国力であった。但し、要塞砲の28サンチ榴弾砲の弾薬ならあると、言うことで急遽使われたのがこの砲であった。
再度の総攻撃に 28サンチ榴弾砲を、日本内地の要塞にあったものを取り外し、短期間で陣地に据付た。
戦時下の緊急事態ではあったが、元より建築機械重機のない時代だけに、人海戦術でこの大きな砲を据えつけたと言われている。
早速実戦で撃ち込んだ威力が大変大きく、難攻不落に膠着状態であった要塞に攻略の糸口が生れ、旅順要塞の陥落の大きな役割を果たしたと言われている。
旅順攻略に若し28サンチ榴弾砲が無かったら旅順の攻略は更に長引いたとさえ言われている。

展示される28サンチ榴弾砲は模型である。平和を甘受する世の中、昔はこのような時代があったことを思い起こしてもらうために、観音崎公園のボランテイアさんの労作である。
周辺は要塞地帯として明治14年(1881)から太平洋戦争終了の昭和20年(1945)の半世紀以上、立ち入りなどを厳しく制限した。
そんな機密の世界が戦後ベールを脱ぎ、軍事施設は埋設・撤去されるなど、公園として手を加えられたが、戦争遺構として未だ当時の姿を留める。観音崎公園として蘇った一帯は観音崎の海岸線の風光明媚な姿とも併せ、鴨居側から観音崎、走水と戦争遺構をたっぷり確かめることが出来る。以下で纏めてみた。参考までにご案内します。

東京湾要塞地帯

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