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龍馬をめぐる3人の女性

大河ドラマもいよいよ、操練所の開設や京の街の舞台に天誅組やそれを取り締まる新選組も登場してくる。ドラマの進行に龍馬をめぐる3人目の女性である、おりょうさんも登場し英雄、色を好むではないが、これ程、女性に好かれるも、龍馬ならではの話しなのであろうか?。ドラマを日めくり、登場する女性を追ってみた。

「平井加尾」

佐藩郷士・「平井収二郎」の妹。「龍馬」とは幼なじみの中の特別な存在であった。「収二郎」は「龍馬」の幼なじみだが、優柔不断な「龍馬」を嫌っており「龍馬」と「加尾」が近づくことを警戒した。
兄の「収二郎」は、「加尾」によい縁談がくるよう花嫁修業を積ませているが、「加尾」は龍馬に思いを寄せていた。

そんな折りに土佐藩で尊皇攘夷(じょうい)の運動が起こると「収二郎」は「加尾」を朝廷工作として三条家恒姫(信受院)の付き人となり、京に送らさせ、兄によって二人の間は完全に引き裂かれてしまう。

「千葉佐那」

江戸の名門・千葉道場の娘。千葉道場を代表する剣術の腕をもっているが、負けん気が強く男たちからは「鬼小町」と呼ばれ敬遠されている。江戸に剣術修行に来た「龍馬」と出会い、激しい剣さばきに「龍馬」をも震撼させるほどであったが、一方ではしんしに剣に向かう「龍馬」の姿に「佐那」思いを寄せていく。
男勝りの佐那に手を焼きながらも、よい縁談に恵まれるようにと願う妹思いの兄である。佐那が龍馬に思いを寄せていると知り、二人を結びつけようと画策する。

「平井加尾」と違って家族ぐるみ、龍馬との良縁と積極的に支援するが、勝海舟のもとに走り海外雄飛に将来をかける「龍馬」には未だ結婚する道は無かった用で「佐那」の気持ちは叶わなかった。「佐那」の「龍馬」に対する思いは大変強く、生涯を思い続け、とうとう独身のまま没してしまう。

「楢崎 龍(ならさきりょう)」

養父「楢崎将作」は勤皇派の医者で安政の大獄で獄舎入りし、釈放後病死する。龍馬と出会ったころは、母と妹2人と弟2人を肩を寄せ合うように住んでいた。

京都の東山区本瓦町(かっては大仏と言われる所)に土佐の脱藩浪士の隠れ家となり、勤皇派「将作」の繋がりから母「貞」が世話役として住み込み、龍馬との出会いが生れた。「龍馬」が寺田屋で大量な幕吏たちに襲われ、「おりょう」の機転で瀕死の重傷を負いながら、薩摩藩伏見屋敷に救われる。

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「龍馬」と「おりょう」は祝言をあげ傷の治癒をかね、長崎、薩摩へ温泉地を含め新婚旅行に出かける。霧島温泉は日本最初のハネームーンとして観光地として光を浴びているが、「高千穂の峰」での二人の手を携え登山する姿は一番輝いていた時ではあったが、束の間の幸せな時であった。
その後、「龍馬」は新国家創成に日本中を駆けめぐるなか、「おりょう」は長崎から下関へと移り住み、陰ながら支え続けた。
慶応3年(1867)11月、京の近江屋で「龍馬」と「中岡慎太郎」は刺客団に襲撃され凶刃に倒れ、「おりょう」のもとに知らされる。

「おりょう」と「龍馬」が連れ添ったのは、わずか3年ほど、そんなドラマを温めながら、横須賀で再婚し30年近くを此処で過ごしたのである。

折角、掴んだ幸せも、若くして散った「龍馬」との蜜月の時代は2年にも満たない、束の間の間に「龍馬」は駆け抜けていってしまったのである。

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