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「甲州街道歩き」真っ盛り

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江戸日本橋から下諏訪に至る「甲州街道」は昨今のウオーキングブームもあって、各地の観光協会や国土交通省が支援している。
「甲州街道」は江戸と甲州結ぶ物流の大動脈でもあり、幕府の力を象徴する参勤交代、甲州勤番の旗本の往来、将軍家用の宇治茶を運ぶお茶壺道中など幕府の大事な要路であった。
慶応4年には倒幕に勢いを得た東征軍が江戸城を目指し、迎え撃つ甲陽鎮撫隊が江戸から向かい勝沼で戦い、破れた往復の要路であった。
明治13年明治天皇の京都行幸では貞愛(さだあい)親王・太政大臣三条実朝以下供奉した騎兵・馬丁300人以上の大部隊が巡行されている。

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その原点たる「甲州古道」を自らの足で歩き、往時の世界を確かめてみた。
「甲州古道」はJR中央線や国道、更に中央自動車道などの建設でずたずたに寸断され廃道になったり、現在の国道に重なったり、一言に「甲州古道」と言っても、地図にフォローされているわけではないので、それを見付けながら辿るのは中々難しかった。
「甲陽鎮撫隊」の近藤勇や土方歳三ら幹部の馬上姿、大砲2門・武器弾薬の長持ちを抱えた隊列を追って、この甲州古道を下って見た。
ゴロゴロとした足場の悪く、急峻で厳しい小仏峠は想像以上にきつかった。景信山や高尾へ向かうハイカーの群れから離れ熊、いのしし、へびの類が何時現れてもおかしくない、甲州古道の小原宿へ向かう淋しい山道は己一人であった。

そんな「甲州街道」歩きが今や日の目を浴びている。TV等でも「甲州街道」を三田村邦彦、舞の海らが甲府まで約140㎞の道程を4人で街道沿いには電車や
車では見られない、名所旧蹟、美しい風景、隠れ名店などの光が当てられ、追い風にもなっている。

梅雨真っ盛り、うっとうしい毎日が続いている中、本陣のご案内であった。
午後の一時、雨傘はもとより雨合羽で完全武装した、初老の男女軍団が到着した。
雨の中、府中からの行軍で、土間の上がり縁にどっかりと座り込み、疲労困憊で中々上え上がって これなかった。
今日は日野宿まで、時間はたっぷりあると伺う。こちらから指示するまでもなく、皆さんゆっくりと畳の上で座り込んだ。
当初の説明に初めは頷き、しっかりと反応があったが、暫くして「文久3年、1863年・・・」の説明は徐々に核心に触れて言ったが、静になり中には明らかに(-.-)Zzzzz‥モードになっている方も居られた。お疲れの所、睡魔がピークに、説明が子守歌になったようであった。
考えてみれば此処は参勤交代の御休息所、歳三も京の疲れに昼寝。旅の疲れにじっくり休むのも、現代でもしっかり役割を果たし先人の残した伝承を継いでいる場所と改めて確認した。

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