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「佐藤彦五郎」来世の世界を思う俳句

Image21            <佐藤彦五郎の居室として使われた部屋>

年々暑くなる中、日野宿本陣で内輪を煽りながら僅かな冷気に何とか息継いでいる。そんな中で協会の好意で用意された冷茶サービスは暑く渇ききった喉を潤す、恵みの水である。
そんな本陣で一番奥の部屋は「下の間」「中の間」が手を加えられ、12畳半の部屋で晩年の彦五郎の居室として使われた。折しもこの暑い季節に彦五郎は趣味の俳句を起こしている。
俳句の背景に歴史の流れの一部を振り返ってみる。

Image1                         <佐藤彦五郎>

慶応4年(1868)3月、江戸城開城を目指す官軍が勝沼で新選組を母体とした甲陽鎮撫隊を撃破し、日野宿に乗り込んでくる。農兵9人が呼び出されたが、皆逃げ去ってしまった。その日の夜中に下名主の佐藤家に官軍が踏込み、粟之須村忠左衛門、平山村惣二郎、日野久兵衛が縛り上げられた。近藤勇が官軍を迎え撃つために甲府へ赴く時、兵卒の募集や兵器の供給をもっぱら日野宿で行い彦五郎は勇に協力していると聞いているので捕縛しようとした。彦五郎は書類や武器を処分し、妻「のぶ」と子供を連れて太久野村(西多摩郡日の出町)へ既に逃げ、近隣の関係者は親戚知人を頼って身を隠すなど宿内はこれまでにない緊迫状態に包まれた。長男源之助は見つかり、官軍の本営で彦五郎の行方など厳しい取り調べを受けた。同年4月、勇は流山で掴まり板橋で処刑される。
幕府を支えた日野宿が幕藩体制が音を立てて崩壊していく歴史の転換を目の前の官軍を前に身を持って受け止めていた。
助命嘆願が叶い隠れていた彦五郎は漸く帰ってきた。
明治維新を迎え、漸く落ち着きを取り戻した宿ではあったが、明治10年雪の降る日に「のぶ」が47歳で亡くなる。

宿での要職は息子の源之助に譲り、彦五郎は悠々自適の世界で暮らす。天保8年(1837)祖父彦兵衛が隠居し、11歳の彦五郎が名主に就き、18歳の折に土方歳三の姉、「のぶ」を妻に迎えた。幕末の激変する渦に巻き込まれ、幾多の波を被りながら宿を守ってきたが、ふと周りを見ると既に誰も居なくなってしまった。

そんな心情を込めて、ここでこんな俳句を残している
「行く先は知らねど知れて夏野越」
死んでから行く先のことまでは知らないが、もうそろそろお呼びがかかる頃だということは判っている。それにしてもこんなに弱った体、よくもまあこの夏の酷暑を乗り越えられたものだ、若い頃天然理心流で鍛えたお蔭かも知れぬ。
彦五郎は自分の人生を振り返って、満足し、ああ~そろそろ、「おのぶさん」の所、近藤や土方の所へ行けるなあ。と言う事を思い浮かべながら、亡くなったのでは無かろうか
その彦五郎は明治35年9月、76歳で亡くなる。

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