« 龍馬のもう一人の妻「千葉佐那」 | トップページ | 竜馬・おりょうハネムーン »

戊辰戦争「宇都宮城」攻防戦

                       <宇都宮城の真北に位置する「二荒山神社」>

Img_90061    

倒幕に士気上がる新政府軍と旧幕府軍は西から東へ、江戸城無血開城、上野戦争で彰義隊の惨敗、徳川将軍、慶喜公の謹慎で一応の節目を迎えたが、尚抗戦を唱える旧幕府軍の勢力と新政府軍との戊辰の戦いは関東から東北へ移っていった。
幕府の歩兵奉行大鳥圭介、新選組副長の土方歳三、会津藩士、秋月登之助が率いる旧幕府軍が宇都宮城の落城に成功するが、薩摩・長州・土佐の新政府軍の増援部隊が再結集し、城を奪還する。激しい戦いの中、城の復元とも合わせ幾つかエピソードを残した宇都宮へ一度、行きたかったが、やっと念願が叶えた。
宇都宮役からバス路線まで教えて頂きながら、城の親切なガイドさんに巡り合え、激しい攻防戦のあった含め周辺の見どころを教えて頂き、碁盤目状の城下町を歩きつめ、その広さにヘロヘロに疲れてしまった。

              <復元された宇都宮城>

Img_902011

写真は復元された宇都宮城本丸の土塁北西部にあった櫓(やぐら)「清明台(せいめいだい)」で、他の土塁より高く、天守閣の役割を果たしたのではと言われている。城は堀・積み上げた土塁・石垣、本丸までの入り組んだ町並みなど北西側からの攻撃に対しては強靱な構造になっているが、南東側からの攻撃に弱い。
それを知ってる旧幕府軍は、簗瀬村方面から攻撃する作戦を選び、僅か1000名たらずの旧幕府軍は攻め落とした。攻撃にあたって黒羽藩(大田原市)の藩士3名を処刑し、意気をあげ「東照大権現」幟を立て進軍ラッパを吹き鳴らしながら攻撃であったが、すんなり落城したわけではなかった。下河原門では新政府軍の猛烈な反抗に会い、歳三は怯む味方を斬りすて、鼓舞した。
そんな下河原門は駐車場と住宅地にあり、その影も無かったが、歳三達が攻め込んだ簗瀬橋からのルートを確かめ、勢い付く姿を思い浮かべてみた。
落城の知らせは大鳥圭介ら一行が合戦場から鹿沼に向かう途中で届き、堅塁な城をわずかな兵で、1日で落とされるのは大鳥には信じられなかった。城下の一角が焼け、城郭の一部からはまだ火の手が上がっている中彼らは入城し、燃え残った役宅に分宿した。

               <六道辻の鳥居と「戊辰の墓」>

Img_90751111

下野国での劣勢挽回のため、板橋の新政府軍の総督府は援軍を派遣し薩摩・長州・土佐他のそうそうたる各藩の部隊は宇都宮城を攻撃するため、此処壬生城に集結した。旧幕府軍は新政府軍を追い、壬生城、姿川、両軍激しい戦いの中、時間と共に新政府軍が勢いを増し、遂に城を奪環してしまう。

幾つか戦死者の碑があるが、旧幕府軍と新政府軍が激突した六方向に繋がる交通の要路六道筋が印象的であった。辻沿いに鳥居「戊辰之墓」の標識が掲げられ、激しく戦い多くの戦死者がこの付近であったかを後世に伝えている。
六道口の戦いで多数の死体が散乱。官軍は報恩寺で手厚く葬られたが、賊軍とされた旧幕府軍の戦死者は土地の人に仮埋葬されたまま供養もされずに放置された。明治、大正、昭和と戊辰戦争の50年、100年の節目に記念法養が執行れ、鳥居周辺はきちんと整備され守られている。
この碑建立に当たって会津の戦いで越後長岡藩の家老「山本帯刀(24歳)」の率いる一隊(43名)が折柄の濃霧のため迷走し新政府軍に捕まる。「帯刀」の人物を惜しみ助命のために降伏せよと迫ったが、「藩主われに戦いを命ぜしも、未だ降伏を命ぜず」とがんとして降伏を拒否し、斬首される。処刑直前に「帯刀」がの愛刀と共に持参した軍資金金弐百両を渡し、殉難者の供養に役立ててほしいと言う遺志がこの殉難者碑の建立に繋がった。

「松ケ峰門」では長時間にわたる激しい戦いが行われ、多くの死傷者を出し、此処で歳三が重傷を負い、東北路に隊列を離れたのも此処であった。流山で近藤勇を捕縛した薩摩藩の「有馬藤太」も此処で負傷した因縁の場所であった。
「松ケ峰門」と周辺の武家屋敷は殆ど逸走されてしまったが、近くに石垣で覆われた土塁が当時の面影を確かめられた。
宇都宮城から追われた旧幕軍も二荒山神社で最後の抵抗を試みたが新政府軍に圧倒され、今市、日光方面へ逸走し、宇都宮戦争も終焉を迎えた。
両軍の大量な戦死者を生み、遺体が放置されるなど凄惨な戦いで街ぐるみ荒廃した。記録によると城と城下の2400の家屋が焼失死傷者は300人以上、被災者は1万1千人以上を超えたと言われている。こんな広い城下が廃墟になってしまうほど、戦闘の傷跡が広く深い宇都宮であることを思い知らされた。
僅かな案内板と碑と地図の心細い情報を頼りに、城と周辺に残された戊辰を見ることができた。詳細は下記で紹介している

宇都宮戦争

|

« 龍馬のもう一人の妻「千葉佐那」 | トップページ | 竜馬・おりょうハネムーン »

06、戊辰戦役(蝦夷除く)」カテゴリの記事

コメント

宇都宮延命院に戊辰戦争で戦死した姓名不明の墓石が私(福田家)の御墓近くに存在します。

投稿: | 2012年12月18日 (火) 10時43分

情報有り難うございます。

延命院は宇都宮城から北西方向にあり、近くに桂林寺、真福寺、正行寺と寺が多い場所です。
市街地に及んだ戊辰の戦いの一戦士なのでしょうね

宇都宮を巡った当時の僅かな記憶を頼りに、場所の特定をしてみました。
何か情報があれば、また教えて下さい

投稿: 隠れ新八 | 2012年12月23日 (日) 06時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/211410/37462160

この記事へのトラックバック一覧です: 戊辰戦争「宇都宮城」攻防戦:

« 龍馬のもう一人の妻「千葉佐那」 | トップページ | 竜馬・おりょうハネムーン »