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「新選組のふるさと・日野を歩く」

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新選組のふるさと・日野を歩く」幕末歴史史跡散歩が実施され、その案内役の大役を仰せ使った。
前日からの雨も朝になっても、益々雨足激しく、こりゃだめかなとも思いつつ、時間の経過と共に雨が上がり、どんよりとした雲間に青空も見えてきた。
事前広報にローカル新聞他に案内を出したが、読売の夕刊に「で かける」が多数の申し込みを生み40名を越える大盛会になってしまった。
前々日、案内の傍ら物を直に見てもらうことも、印象的な巡り旅になるだろうと旅案内人は石田散薬のミソソバ探しに、浅川の支流沿いに走り、漸く見つけ、枯れないように水気を含ませ、新聞紙に包み大凡20本近くに小分けして、当日持参した。
紅葉で真っ赤に燃える高幡山を背後に高幡不動の歳三像前で集合する。高幡山のお住職の案内により奥殿・大日堂を案内してもらう。
境内は出店も出て、メインイベントの高幡不動尊万燈会で何時になく人で一杯の中40人の集客に囲まれる中、正義のために命をすてた近藤勇昌宣、土方歳三義豊「殉節両雄の碑」でいよいよ案内が始まる。
この日のためにと思い、学生時代の期末試験にふともどって、万端準備したが、緊張の余り、言葉が出て来ない。当日は某国の首相も言質を損なわずメモを活用しているが、それを真似するわけでは無いが、言葉やデータの誤りに思わぬ波紋を起こさない為にもメモは離さず活用した。
碑の前で新政府が「朝敵となった人の祭紀、慰霊を許す」と許可したが建立まで14年の歳月がかかった戊辰の怨念が聞く方にどの程度伝わったか、隣の出店の流すスピーカ音も気になりはてさて何処まで伝わったか? 反応を確認する余裕もなく、隊列はスタートした。

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牛の額の様なユーモラスな形状が牛額草、右側に可憐な花が咲いている

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高幡の雑踏をくぐり抜け静寂の向島用水にたどり着く、コンクリートから柔らかい土の感触を確かめながら当初、予定したベンチで本日の出物、牛額草(ミソソバ)を披露する。
牛の額をもじったミソソバはほぼ全員に渡った。石田散薬にならずとも、"しおり"にすれば何時までも、この一見ユーモラスな姿に歳三の姿を重ねあわす事が出来る。
酒に含んで飲めば、鉄分+アルファーとアルコールの血行促進で効用もと、用意した石田散薬も瞬く間に手を離れ、歳三の遺稿はこんな形で伝わった。散薬を通じて歳三の世界へ、見るだけなら結構、食にするには自己責任でとお断りしてお渡しした。

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ふれあい橋で遥か離れてしまった高幡山を振り返り、もうあんなに小さくなった五重の塔の姿を確認する。
甲陽鎮撫隊として勝沼戦争で破れ、高島藩の先導で新政府軍が日野宿に厳しい探索の手が入り、あのこんもりした高幡山も隠れ場所になった説明に頷いていた。
前日の激しい雨で、側面から流れた土が混入し、よどんだ姿で水かさも普段より多く勢い良く流れていたがお蔭様で今日の旅を支援してくれるように雨の心配はなかった。
15時ぴったり土方資料館に到着、この長い行列を予定通り案内出来た事に先ずは一安心。
資料館で直に歳三姿に触れ、たっぷり英気を貰う、この史跡散歩に特別に開放してもらったが、その集団の入場につり込まれ、通りがかりの一般客も、一緒に入れ、喜んでいたようであった。

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さ~て、問題はモノレールの向こう側、入り組んだ道に、多少戸惑いながら、何とか、とうかんの森、歳三の生家跡にたどり着けた。
とうかんの森は今でも繋がる土方一族がお稲荷さんを守っているが、天空高く伸びきった木の近隣への落葉の始末に枝落としか、或いはかなりの部分の伐採か、その処置が検討されているようであった。その話を聞き、数日前此処へ訪れたときにはかなりの幹に識別のテープが幹にまかれてあったが、当日はそのテープが無くなっており、どのような確認がされたのか大変気になった。
まあ、この姿が何時までも残るように、お稲荷さんに祈りつつも、しっかり、その姿を見届けておいた。

北川原公園で階段に登り、多摩川と浅川の合流点にあたるこの付近は出水も多い。
弘化3年(1865)記録的な大雨で歳三の家も三つあった土蔵の一つが流され、母屋も時間の問題と村中総出で現在の家に移築した事実を追ってみた。そのときの大雨で渡し船が川留めとなり、溜まった人と物を満載し、出船した船が転覆 30とも、50名とも言われる溺死者が遥か川崎まで流された悲惨な事故も、見通しの効いた場所で紹介した。

いよいよ最後の石田寺へ、歳三と両親、兄弟、そして粕谷家へ養子に行った兄大作が残した碑文など墓石に手を合わせて紹介した。
歳三の墓域から、出入り口側に位置する新井の土方勇太郎の墓の所在を確認頂く。歳三と同じ時期に天然理心流をならい同心として最後の日光勤番で歳三と出会い最後の別れをした勇太郎を紹介する。宇都宮戦争の白兵戦でたじろぐ味方を斬って鼓舞、宇都宮城を落とした時のことを気にかけ、せめても墓石を建ててくれと頼んだ歳三の話と、その勇太郎と歳三が声をかければ届く位置に眠っている事も併せて紹介する。

既にうす暗くなった時間に拙い説明に最後まで耳傾けていただき、六地蔵の前でお別れの挨拶、拍手を頂き、感動の一時であった。

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