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函館戦役を巡る旅、2「官軍上陸地~開陽丸沈没の江差」

Image111 前回、南北海道の行程ルートを鯨の尾っぽに例えたが、その尾っぽを輪切りに東西に縦断する。かなり深い森林地帯を越え噴火湾側から日本海側に出るが、地図を見ると冬季閉鎖とされており、豪雪地帯から、この山越えは容易ならざるものであるようだ。
このルートは何時もの北海道のようで、車の姿は殆ど見受けられず、独り占めしてしまい、贅沢な気分で爆走した。
函館戦争では江差から函館へ新政府軍が向かうが、それを迎え討つ幕府軍の戦う山岳ルートはこの道より南側のルートである。
山道を越え乙部海岸に出る。写真の垂直に切り立つ白亜の絶壁はグランドキャニオンとも呼ばれ「舘の岬」である。
奪還の機会を狙っていた新政府軍は青森からこの乙部海岸に上陸し、旧幕府軍に奪われた函館を奪還の一歩を踏み出した。

乙部沖に「甲鉄」「春日」など黒船来襲を思わせる光景となり、村民は大挙して漁船を出し、軍艦に対して情報を伝えた。これが契機に当地の「津花の浜」および相泊(館浦)に兵士が上陸している。村民は新政府側に加担している。
旧幕府軍の手にあったが、無防備であった乙部から蝦夷地、奪回のため無血上陸した。

Img_91391<果て上陸地点は何処に>
広い海岸に果たして新政府軍の上陸地点は何処にあるかと、乙部町役場に飛び込み教えて頂いた。出来たばかりの上陸碑であったがそばに立てかけられた柱の防蝕用に帽子が被されてあったが、官軍が被る傘の拘りに思わず笑ってしまった。
東京からの珍しい歴史史跡の訪問客に、町上げての歴史通、乙部町の米田出納室長が、忙しい業務の傍ら、ご挨拶頂いた。
明治政府軍の乙部上陸を乙部観光の一つに尽力されておられことを伺った。上陸の碑もそのひとつで、更に乙部に残された言い伝えなど地元目線で、捉えた函館戦争を作った 「新北海道の夜明け」のマンガ紹介された。
未だ在庫されているよであり、地元だけしか手に入らぬ労作を早速購入した。元より歴史好き、米田室長はもっと語りたかったようであるが、別役の用事に悔しがっておられた。

Img_92751海岸線を乙部から江差へ移動する。この辺りは北海道の南西部に位置し、にしん漁場として栄え、道内でも早くから開けた場所の一つである。
一方では土方率いる旧幕府軍と最後の防衛戦として必死の抵抗を示した松前藩が戦った要衝江差港である。強固な敵陣に榎本の乗船する「開陽丸」が海上支援で江差沖に到着、江差弁天や愛宕山の台場に砲撃し、陸兵を上陸させたが、松前藩は敗走し無血上陸であった。
しかしこれが「開陽丸」の最後の勤めで、暴風激浪の自然の猛威に最新鋭の軍艦も叶わず海中深く没してしまう。
榎本や歳三が宿舎として使われていた檜山奉行所跡は江差港が一望出来るこの高台にあり、榎本と歳三はこの場で「開陽丸」沈没の姿を見て、この松を拳で叩き嘆き、松が曲がってしまった伝説がある。その松は大きく傾きながらも、尚懸命に生きている。
函館戦争の主要要路と町は殆ど海岸線にあり、制海権を握ることがこの戦いの鍵を握っている。
710トンの「回天」クラスが構成する艦隊の中で規模が一回り大きい2590トンの「開陽丸」を失った事実が如何に大きかったか良く判る。
そんな背景から「回天」他で宮古湾に停泊の「甲鉄」奪還作戦を行ったが、、犠牲者を伴っただけで失敗した。
江差に入り平成2年(1990)、復元したノッポ姿の「開陽丸」は直ぐ判り江差町のシンボリックな存在になっている。
早速、甲板にあがり目の前の巨大なマストに大きな歴史事実を想い浮かべ、とても感慨深いものであった。
大阪から品川へ遁走し失意の将軍徳川慶喜を。江戸城開城後大量の脱走兵を運び新天地、蝦夷で再起を図ったこと。榎本艦隊の旗艦として、さっそうとこの艦上から全艦への指揮を取る、その華々しい姿と海中に消えていった歴史ロマンをこの艦が後世に伝えている。

Img_9280111艦内の陳列品は大量な引き揚げ品であるが、中でもこの砲弾の種類と数に圧倒される。
古典的な大砲の弾は、単なる金属球如きの物から、着弾時に弾殻が破砕され、破片が広範囲に飛び散り、周囲の物質に突き刺さる、破壊能力は飛躍的に上がった榴弾など、函館戦争ではこんなものまで既に使われていたのかと驚いてしまう。
江差はこの「開陽丸」を始めにしんや廻船問屋で一旗上げた豪商など当時の姿を伝える家屋など歴史遺産が多数残され、時間かけて見たいところであるが、先を急ぎ松前に目指す。未だ先の長い函館へ、明るいうちたどり着きたいが、道乗りが心配にもなってくる。

詳細はこちらで載せてます函館戦争を辿って

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07、蝦夷地」カテゴリの記事

コメント

本日は閉館過ぎまでありがとうございました。
HPの方にお邪魔させていただきましたが
資料や旅行記の膨大な量に思わず感動の溜息が出てしまいました!
少しずつ拝見させていただこうかと思います。

4月に函館巡りに行くつもりですが、是非参考にさせていただきます。
また素敵な解説を楽しみにしております!

投稿: 蛙。 | 2010年12月19日 (日) 19時43分

蛙さま
早々の書き込みありがとうございます
館のご案内の担当も今年最後で、お会いできたことを含め記念すべき一日でした。
HPはちょこちょこ、江戸とその周辺をおかっけましたが念願かなって蝦夷まで足を延ばしました。
歳三、中島三郎の助、開陽丸、復元された奉行所、碧血碑などなど戊辰戦争の舞台がぎっしりと詰まっている場所として、皆さんが良く行かれることを改めて認識しました。
此処を通じて、書き込みいただくことが、HPの作成エネルギーになります。
時折、コメント頂ければ嬉しいです。
今後とも宜しくお願いします

投稿: 隠れ新八 | 2010年12月20日 (月) 14時18分

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