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函館戦役を巡る旅、3「「松前城攻防戦、函館へ」

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函館戦役を巡る旅は前回の江差から南北海道の航行ルートを鯨の尾っぽの一番南側の突端、松前(福山)城にきてしまった。

Hkdtd601福山城(松前城)は鎌倉時代から和人が移住し、戦国時代に和人政権の拠点となった北海道唯一の城郭である。
北辺警備の命令を受け安政元年(1854)に日本最後の旧式築城として完成し城内に砲台を備え、天守閣は強固な構造で既に西洋式の重火器を用いた近代戦に備えていた。幕末期にはロシアの南下、外国船の日本侵略に備え、松前城の北辺警備は重大な役割を担っていたのである。
明治維新の戦乱により廃墟になり明治8年(1875)天守(三重桶)、本丸御門、同東塀を残して取り壊された。本丸御門を残して焼失天守は昭和36年(1961)に鉄筋コンクリート作りで再建された。
松前藩が蝦夷地を統治する拠点として、古くから支え、維新を迎え、新政府に付くか旧幕府に付くか、もめ結局新政府側に付き、旧幕府軍を迎え撃ったことになった。
歳三率いる約750と言われる隊は五稜郭を出発したが、夜襲をかけた白兵戦など松前藩兵の激しい抵抗にあう。
性能が良い筑島砲台は軍艦幡龍に砲丸が命中するなど旧幕府軍の軍艦が沖合から近づくことを許さなかったが、砲台は土方軍に鎮圧されると、回天他軍艦が砲撃、松前藩は沖合からの回天の砲撃に浮足だし松前城に逃げ込んだ。

                                    <写真は松前の城下町>Img_9294111土方軍は城に殺到したが、門内に野砲を並べ肉薄してくる土方軍に砲火を浴びせるなど苦戦したが、城中に突入した。城内では各所で斬りあいが行われ、天守閣にも刀傷が残されていたと言われている。本丸御殿の玄関で割腹自刃するなど武士道に背かぬ働きをしたが町や寺社などに火を放し江差に向け後退した。この時、松前城下は全民家の7500戸のうち5000戸を焼失。寺院20箇所のうち15箇所を焼失した。
この御用火事によって、蝦夷地第一の城下町は四分の三を焼き尽くし、町民の非難した山奥へ飛び火し折からの降雪に晒され寒さと食料不足で悲惨を究めたと言われる。
旧幕府軍は意気軒昂で「松前リヤンコ(兵隊)はカラスのしょう(衆)だよ、鉄砲ドンと撃ちゃ皆逃げる」と歌いながら行進したと言われている。
松前城を占拠した旧幕府軍は遊撃隊長人見勝太郎が松前奉行になって6カ月間、占領行政を担当する。
歳三は川原町の済衆館と言う医学校を宿舎に白馬に跨がる颯爽とした姿で松前城へ登城したと言われているが、蝦夷地上陸後、激しい抵抗もあったが五稜郭に継いで松前城占領で一番輝いていた時期ではなかろうか。
しかし、それも長続きしなかった。半年後 4月9日新政府軍1200人が乙部に上陸、江差を奪回後、海岸線を松前城に向かう部隊が進軍した。
予知していた人見勝太郎の旧幕府軍は松前城を砲台で固め、台地上に胸壁銃座を縦横に設け、新政府側を待ち受ける。
新政府軍は甲鉄、朝陽、丁卯、陽春、飛龍の5艦が松前城と海岸砲台を砲撃し援護したが決着が付かなかった。松前藩は中の岳を経て立石野背後の山から城中に突撃し、旧幕府軍は一気に崩れ松前城は奪回され、函館に向かって逃れていった。松前城の攻防戦は両軍各々60余名に及ぶ多数の戦死者を出している。
このようにして、旧幕府軍、新政府軍が城をめぐって激しい戦いがあり、新政府軍の手に落ちた松前城を契機に一気に五稜郭包囲に繋がっていく。
高台の要地に建つ松前城、北海道で唯一の城郭は美しく絵になるが、建物は堅牢なコンクリート作りで機能本位。一新された建物に内部から戊辰の戦いの姿を求めるのは無理であった。
城に訪れる来館者も少なく、土産物屋も手持ち無沙汰のようであり、そこそこ駆け足で周り、函館へ向かう。

海岸線を走る過程で日も落ち、車のライトのみが浮かび上がる闇の世界に、遠目にイカ釣りの漁火が群れなしている姿が鮮やかに飛び込んできた。
湯川温泉で車と荷物を預け、タクシーで函館山へ向かったが、ロープウエイは何と休み、バス、タクシーが殺到する中、そのまま山頂へ目指す
詳細はこちらで載せてます 函館戦争を辿って

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