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「お龍」の足跡を追って、横浜、横須賀へ

横須賀大津の商店街

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草木が芽吹く時期を迎え、街中を歩くの良いのかなと「お龍の旅」を企画した。
しかし3.11の大地震により、予想も付かなかった足回りの混乱から旅、どころでは無く、中止になった。
そんな制限が解消され、改めて再チャレンジする。

今度の週末は台風の影響で雨模様であるが、2011ー5ー28、決行する。

□お龍の後半生を振り返ると
「龍馬」が凶刃に倒れる迄の僅か1年10カ月の「龍馬」との生活。未亡人となった後、下関、土佐、京都と転々するが、坂本家とも折り合いが悪く、新天地を求めて、東京に出て横須賀に暮らす。
横須賀で寺田屋時代のお龍と旧知の中であったが「西村松兵衛」と再婚し30年近く暮らすが、凋落しひっそりと66歳で亡くなる。
「龍馬」の遺志は「亀山社中」から「海援隊」に繋がり、帝国海軍の基礎を成し、ロシアのバルチック艦隊を破るまで成長した。
その華々しい戦果を見届け、お龍は天国の竜馬の元に走り報告に向かう。

折しも、日露戦争のとき、龍馬の姿が明治天皇の皇后の夢枕に立ったとの新聞記事が話題となった。新聞記事は竜馬の夢枕という事件を利用して、皇后陛下が日本海軍の戦略に関して口出し、天皇、皇后が政治に発言する機会を作りあげた。恐らく世論も味方
につけて、薩長派閥から除外された天皇親政派の喧伝による情報操作とも言われている。
贈正4位のお龍の立派な墓が建立される。

□そんな背景から横浜、横須賀の縁の地を追ってみる。
仲居時代の横浜の田中屋。晩年暮らした横須賀。バルチック艦隊を破った三笠。静かに眠る大津信楽寺。

<ちょっと欲張って>

龍馬が剣術修行で江戸に来たときに、ペリー来航で、動員された品川の浜川砲台跡

などなど、たっぷりと彼らの跡を辿ってみたい。

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