« 「お龍」の足跡を追って、横浜、横須賀へ、そして決行 | トップページ | 榎本武揚と小樽の街 »

戦艦「三笠」と「龍馬」

              戦艦「三笠」Mikasa1横須賀を語るに欠かせないのは何と言っても、軍艦「三笠」である。
この「三笠」を代表とする海軍と「龍馬」は唐突に思えるが、意外と繋がりがを持っている。
「龍馬」の遺構は「亀山社中」から「海援隊」に繋がり、帝国海軍の基礎を成し、ロシアのバルチック艦隊を破るまで成長した。
この横須賀に「龍馬」の妻「お龍」は晩年、此処で過ごし、静かに眠っているが、少なからず影響した人物が居る。

「龍馬」と一緒に行動した「菅野覚兵衛」と言う人物が、「龍馬」の没後もその遺志を継ぎ繋ぎ役を担っている。
「菅野覚兵衛」は土佐藩の庄屋の三男として生まれる。土佐勤王党に加盟し、文久2年(1862年)、山内容堂を警護する五十人組に参加し上京し、龍馬らともに勝海舟の弟子となる。神戸に設置した神戸海軍操練所にも参加し、長崎で亀山社中(のちの海援隊)を結成し、物産・武器貿易を行う。第二次長州征討(四境(しきょう)戦争)では社中の船・乙(いっ)丑(ちゅう)丸(まる)(ユニオン号)の艦長と海援隊隊士として活躍する。
慶応3年(1867年)11月15日の「竜馬」は暗殺されるが、翌・慶応4年(1868年)3月、生前の「龍馬」の希望もあり長崎で「お龍」の妹・起美(三女)と結婚する。「竜馬」とは土佐勤皇党以来の同志で、生前既に義妹を嫁に推挙するぐらいに「覚兵衛」と言う人物を信頼していたものと思われ「龍馬」とは義兄弟となる。
「覚兵衛」は戊辰戦争に従軍し奥羽地方を転戦する。維新後アメリカに留学し、帰国後は勝海舟の紹介で海軍省に入省し、艦政局運輸課長、横須賀鎮守府建築部長などを歴任して海軍の要職を担う少佐となる。
「お龍」は「竜馬」没後、自立の道を模索し、明治7年(1874年) 神奈川宿の料亭・田中家で仲居として働いたのも「覚兵衛」の紹介とも言われている。
明治8年(1875年)「お龍」は「西村松兵衛」と再婚し、西村ツルとなり、「松兵衛」の住む横須賀で暮らした。
西村松兵衛は呉服商として、寺田屋時代の「お龍」と旧知の中であったが、維新の動乱時に家業が傾き横須賀に移り住み横須賀造船所建設用の資材の回漕(かいそう)業を行い、後に露天商などで生計を立てていた。
再婚は「松兵衛」が「覚兵衛」の家に出入りし、「覚兵衛」の紹介されたと言う説もあり、何れにしても「お龍」の晩年はこの「覚兵衛」が深く関わりを持っていたことが判る。
こうしてみると晩年の「お龍」が横須賀の地で暮らすことは「覚兵衛」の存在が大きく、少なからず海軍との繋がりが見えてくる。

さて、その三笠であるが、「坂の上の雲」が司馬遼太郎が亡くなり、スペシアルドラマとして漸く取り上げられた。
これまで、司馬遼太郎の多くの作品が国営放送の大河ドラマで放映されるが、「坂の上の雲」だけは何度かエントリされながら、中々実現しなかった。
大国ロシアのバルチック艦隊を破り、東洋のちっぽけな国の黄色人種が晴れて評価されたのが、この三笠率いる、日本艦隊であった。
尖閣諸島の領海侵犯、クナシリ・エトロフの領土権の主張など国を取り巻く環境は憂慮すべき事態に陥ってしまっている。
誇大妄想かもしれないが、忘れかけた歴史遺産と関わった先人達が、弱腰の外交に、なにも言えない国に成り下がってしまった現状に、きっと歯がゆい想いで見ているに違いない。

         戦艦「三笠」の艦橋から、俯瞰するImg_05561

当サイトでも紹介したが、台風影響下の雨の中、三笠に再開した。滑る足元を、ほぼ垂直に近い梯子段をよじ登って、艦橋に出る。
睨みを効かす大きな砲門が火を吹き、ロシア側戦艦を完膚無きまで叩き、撃沈させた主役はこの砲門と、射撃能力の高い訓練された砲手達であった。
歴史を変えた東郷平八郎か或いは天才と言われた秋山真之に気分は成りきって、艦上から、雄大な眺めをたっぷり味わった。
今にも洋上に走りそうな艦上で、高揚した感覚は雨をも吹き飛ばす世界に暫く心酔した。
時代は遡り、慶応2年6月、第二次長州征討の四境戦争で、「高杉晋作」率いる5隻の軍艦に「龍馬」の乙丑丸も含まれていた。
朝もやで視界の悪い、関門海峡を静かに進み、長州艦隊は、数百にのぼる軍艦が集結していた幕軍目掛けて一斉に艦砲射撃を開始し、幕軍を大混乱に陥れた。その勝因も長州艦隊の連動した操船と長州軍の砲弾の命中率は高さであった。
こうしてみると、近代戦争の走りは既に四境戦争で始まっていたのではとさえ思えてくるのである。
この艦橋に立つと、失ってしまったナショナリズムがフツフツと自然と沸いてくる。
何故、三笠がバルチック艦隊を破ったか、そんな視点で書いてみた。

軍艦 三笠 

|

« 「お龍」の足跡を追って、横浜、横須賀へ、そして決行 | トップページ | 榎本武揚と小樽の街 »

20、坂の上の雲」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/211410/40394531

この記事へのトラックバック一覧です: 戦艦「三笠」と「龍馬」:

» 戦艦「三笠」再び脚光 ドラマ「坂の上の雲」人気で [ローカルニュースの旅]
日露戦争の日本海海戦(1905年)で活躍した戦艦「三笠」が、NHKドラマ「坂の上の雲」をきっかけに再び脚光を浴びている。復元され、神奈川県横須賀市に展示されている記念艦の入場者は、39年ぶりに年間18万人を超える勢いだ。... [続きを読む]

受信: 2011年12月31日 (土) 12時00分

« 「お龍」の足跡を追って、横浜、横須賀へ、そして決行 | トップページ | 榎本武揚と小樽の街 »