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明治天皇の全国巡幸で日野小休

Img_11321明治天皇を御迎して既に130年以上も経過するが、余り、多くを知らされていない。その真実を追っかけ、幕末から維新にかけて、新しい時代を迎え、眩いばかりの皇室を迎える大変大きな、出来事であった。
明治天皇は京都御所に住み、外の世界には全く出ることはなく、民衆からは天を遍く神のような離れた存在であった。近代明治国家ではそんな因習から生まれ変わり、国民に親しまれる元首として、その姿を見て貰い民衆との触れ合いの機会を積極的に作っていった。
明治天皇の巡幸は隔年ではあるが、10数年がかりで88回に及ぶ、全国巡幸を精力的に行われている。
この地方巡幸を計画した中心人物は断定されていないが、大久保利通・岩倉具視の路線から生れたと言われている。
巡幸半ばで推進役の一人大久保は襲撃変死するが、大久保の構想は岩倉や伊藤博文や山形有朋らに引き継がれる。


<明治天皇を迎える街の様子は>
新生国家の元首の街への御登場は鮮烈なアピールであったに違いないが、一部では覚めた様子も伝えている。
・老婆は路端にうすべり(縁をつけたござ)を敷き正座し、天皇の通過をお待ちした。中にはちょんまげを付ける人、正装の人々など様々であった
・「東北御巡幸の御発輦(れん)を拝まんと、御道筋の両側は、万世橋より千住までの間に錐(きり)を立へき隅も無き程に充満し」と東京中が歓送の渦の中にあったことを延べている。
・農作業を妨げてまで歓迎にかりだしてはならないと言う通達にも関わらず「鳳輦を見かけ両手を合して拝むもあり、両手を打つもありて何れも遠近の村落より出たる人なるべし」・・・「鳳輦随行記」
・「天子様は生き神様」と言う信仰を抱いて、天子様を拝めば目がつぶれると言う流言を率直に受け入れた者もあれば、初めて見る天皇に概して庶民が冷淡であったことは、赤子に乳を飲ませながら行列を眺め立っている農婦の姿からうかがえる。

<日野で2回も明治天皇を迎える>
日野は徳川家康関東入国以来、甲州道中など街道の整備が進められた。幕末・維新時期には日野宿は幕府直轄領だった日野と幕府との強い結びつきから農兵隊や新選組が生れ、より佐幕色の色濃い土地であった。当時の人も「明治維新」・「御一新」の言葉より、徳川幕府の崩壊を捉えた「瓦解」が使われたのも、幕府との絆の深さを物語っている。
そんな土地背景の中、薩長色の濃い新しい体勢の明治国家の中で、明治10年代に日野に2度も明治天皇が「行幸」(ぎょうこう)の過程で立ち寄られている。
その1回目は明治13年(1880)、明治天皇は山梨・三重両県と京都府巡幸があり、6月16日に東京を出発され、日野に立ち寄られている、

Meiten1104<金色に輝く菊花紋の馬車の大パレード>
「君が代」や「日の丸」の国旗を先頭にフランス式の近衛騎兵が親衛する朱塗り、金色に輝く菊花紋の馬車を中心に一行は貞愛親王を始め太政大臣三条実美や寺島宗則・伊藤博文・山田顕義の三参議、その他維新以来の元勲連、山岡鉄舟など重臣顕官が奉じ、騎兵・夫卒・馬丁等を合わせて約360人に及ぶ大集団であった
明治天皇の御行幸の一行は府中の大国魂神社に幣帛料を供せられ、新しく架けた多摩川の仮橋を渡られ、午後3時頃旧佐藤彦五郎宅(以下佐藤邸)に到着し、小休止された。 近衛兵数十基をともなって、当日のために選ばれた日野の名望家は意義を正して玉川橋で、天皇の御一行を出迎えた。日野宿内では天皇の一行を祝して門々に国旗を掲げた。

<当日の佐藤邸では>
佐藤邸の表門前に厚い檜板の組枠高札「御小休」が建てられ、邸外四方警護厳しく、板塀内側には幔幕(まんまく)を張りめぐらし、屋内各間には絨毯を敷き詰められた。
奥の間の廊下先の御厠(かわや)を本削り材を持って新調し、内側一帯に、運ばれた青磁色の御緞子(どんず)を巡らせた。

絨毯が敷きつめられ、陛下は御靴のまま、玄関から上がられ、御足音高く、王座まで御運びあり、御茶を喫せられ、続いて清酒五合程も召し上がられた。
次々の各間には三条実美、寺島宗則・伊藤博文・山田顕義の三参議その他維新以来の元勲連、山岡鉄舟の元気な姿が目立ち、それぞれ待機していた。厨板の間(勝手と推測)の焜炉(こんろ)の傍らには神奈川県令 中島信幸などが煙草を喫煙していた。
小休後、午後5時に日野を御出発し、八王子に着かれた。

<無事大役勤めた佐藤家>
当時俊正(彦五郎)はこの南多摩郡長奉職中にて、恐懼(きょうく)描くこと知らず、家祖350年来まったく未曽有の光栄に欲すること、なお俊正として畢生(ひっせい)の労苦を重ねて、親しく建築したるこの邸宅に、有り難くも両度までも行幸御小休を仰ぎ奉ったのである。いかばかりか歓喜恐悦し、聖徳に感佩(かんぱい)(かたじけなく心に感じる))したことであろう。と同家で史話に残されている。
翌年の2回目の兎狩りは別途、予定。
詳細は>「明治天皇の全国巡幸と兎狩」で当サイトで掲載。 

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