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うさぎ追いし、かの山

明治14年(1881)2月、中央道巡幸に継いで、馬車で皇居を出発出発された明治天皇御一行は八王子、恩方方面で狩猟をなさって、日野の旧佐藤邸で小休止された後に、連行寺村へ向かったことは既に当ブログの「明治天皇行幸と山岡鉄舟」で書いている。
この兎狩りを含め4度も連行寺村へ訪れており、その関わりの深さを物語っている。
明治天皇は溺愛した愛馬「金華山」を携え、幕末から維新に駆けめぐった山岡鉄舟を従者として、駆けめぐった連行寺村、周辺を尋ねてみた。
早速聖地の旧多摩聖跡記念館に目指し、京王線「聖跡桜ヶ丘」駅へ向かう。今尚、駅名の冠に聖跡が付く位に、明治天皇が行幸された事実が100年以上も経過する今日にも、語り伝えられ、影響の大きさを物語っている。
都心に繋ぐベットタウンとして、大変便利な事から駅周辺の雑踏は人並みも、切れず賑やかである。川崎街道を東に向かうと、乞田川と並行する鎌倉街道に交差し、流通の拠点として車両の渦、騒音の中に入る。

◇「行幸橋」

Img_1237乞田川沿いに南側に向かうと、連光寺方面に繋がる乞田川を渡る行幸(みゆき)橋に出る。
行幸の名前も明治天皇が渡られたことから、「行幸橋」と名付けられた。乞田川とも合わせ「行幸橋」も完璧にコンクリート化され都市化された構造物になっている。
冬には兎狩り、春から秋には鮎釣りを、民衆に迎えられ明治天皇の一行の行列が此処を渡り、高台の連光寺方面に向かったが橋の名前だけが僅かにその行跡を語り伝えている。

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橋を渡り、道なりに向かい、暫く行くと連光寺方面に向かう「記念館通り」に出る。住宅に囲まれ、急坂が何処までも続き、己の吐く息が聞こえる位に先程の喧騒が嘘のように静かである。
息が切れそうな急坂に住宅が切れ、都立桜ヶ丘公園の一角に出る。
歩け歩けで最近の歩けブームに乗ってか、トレッキングスタイルの群れ集団が向かい側から降りてくる。
街から直ぐ近く、自然に恵まれた山頂を含めた環境は気軽に良い汗をかける、恰好のトレッキングコースである。
高台付近に国策で生れ満州開拓に駆り出され、不毛の地で亡くなり、埋もれていった人々の満州開拓殉職之碑がある。
高い所から、遠いかの地で失った人達の冥福を祈り、手を合わせる。

◇狩猟地の連光寺村

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桜ヶ丘公園に入り、素晴らしい眺望のきく高台に出る
天皇の狩猟天覧は、郊外の狩猟地の一つとして、ここ連行寺村が選ばれ、早速宮内省の手で山林ので兎の生息を状況を確かめ、周辺の村々から村民動員の上、開発整備され天皇の兎狩りを出迎えた。
明治天皇が愛馬「金華山」に跨がり、この眺望を楽しみ、兎狩りの一時を此処で過ごされた。四囲が住宅地で開発される中で、都立桜ヶ丘公園として、自然の森がそっくり残されている。
旺盛な樹木の成長に視界が遮られるが、御前山、大岳山、雲取山など近くに設置された案内プレートで多摩の山々を確かめることが出来る。馬を携えた明治天皇も山岡鉄舟も此処に来て、同じ姿を眺めていたのであろう。

◇旧多摩聖蹟記念館

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西側に向かい、駐車場を越え旧多摩聖蹟記念館に到着する
中央に飾られた『金華山号』は天皇のご寵愛深く、明治13年から16年間御料馬として公式行事使われ、名馬の誉高い馬として知られている。
陛下の御乗馬にいつも敬礼の姿勢をとった。 万馬がいななきや突然の砲声や小銃にも驚か動かずに位置を保っているなど「頭部美しく、怜悧沈着で外物に驚かない特質」と評されている。
長寿といえる26歳で死亡し、明治天皇は大変ご悲嘆され、剥製にして主馬寮に置くよう仰せられた。この剥製は神宮外苑の正徳記念館に安置されている
多摩聖蹟記念館は、明治天皇の行幸をしのび、顕彰運動に尽力し、宮内大臣も勤めた田中光顕(みつあき)らにより昭和5年(1930)に造られた。老朽化し、取り壊しの検討もされたようであるが、近代建築として評価され、多摩市が改修し、多摩市指定有形文化財として生き延びた。敢えて旧と冠が付いているのは「明治天皇行幸を記念する建物」から「都立桜ヶ丘公園を訪れた人々の憩いの場」と変わったようであるが、中央に飾られた、明治天皇騎馬像が象徴的であり、敢えて旧が付くのに違和感を覚える。
田中光顕は土佐藩出身で武市半平田に師事し土佐勤皇党に参加、中岡慎太郎の下で薩長盟約の締結に尽力される。幕末には勤皇活動行った長州に傾注しており、多摩市の保有する長州藩士の遺墨が多数展示されてあった。吉田松韻、高杉晋作、真木和泉、木戸孝充伊藤博文、等々「幕末の長州史」のお勉強会でもあった。

天領でもあった幕府配下で脈々と歴史を刻み、残される遺産も佐幕よりのものばかりの日野では、どうしても佐幕依りに染みついてしまう。僅か数キロの此処に来て、一気に倒幕一色に塗りつぶされる長州の世界に戸惑いさえ覚える。

◇兎平見つけた

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旧多摩聖蹟記念館から公園内を北側の勾配を下って行く、鬱蒼とした樹林の一角に刈り取られた縁に「兎平」の標識を発見する。
狩猟にあたって、連光寺、関戸村、貝取村、一宮村、程久保村から計150人以上の人々が勢子(せこ)(獲物を追いかける人々)として駆り出された。勢子はいっせいに喚声をあげ、各自手に持っていた棒で地面を叩きながら、山頂の王座前に張られた網をめがけて山を登って兎を追い込んでいった。王座前の網に兎が飛び込むと、侍従長はそれを生け捕りにして、天皇の御前に差し出した。
続いて第2狩場、(榎田山)第3狩場(山の越)、第4狩場(天井返)などで兎狩りを実施し、夕方には行在所に引き上げる。こうして僅かな時間であるが、村人と明治天皇と侍従達とのチームワークで、自然の原野で素朴で野性的な狩りの一日が終わる。

こうして、兎平を後に桜ヶ丘公園を兎の如く一気にかけ下り、出発点の「聖跡桜ヶ丘」駅に戻るが、秋の日は短く、既に日は沈みかけていた。

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明治天皇と兎狩り

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