« うさぎ追いし、かの山 | トップページ | 日本海海戦 »

広瀬中佐

司馬遼太郎の代表的長編小説「坂の上の雲」は2009年から3年にわたって放送されいよいよ大詰めを迎える。
放映は1回1時間半の番組を13回(1170時間)にわたって放送するが、年に4~5回程度放送し、3年かけて完結される。
時間と金をたっぷりかけてじっくりと熟成させるようであるが、年末限定だけに、1年間のブランクは間延びしてしまいその間の記憶が薄れ、再放送版で、ようやく記憶を蘇らせ、ドラマの連続性を繋いでいるような感じがしてなら無い。
時間と金をたっぷりかけてじっくりと言う背景から、このような変則的な大河ドラマになるのであろうか。
まあ、そんなことはさておき、今年の歴史旅の印象的な一つはやはり軍艦三笠であった。
10数人の仲間を引き連れ、横浜、横須賀へ、予定したが、3.11の地震で鉄道の乱れが長く続き、止むなき延期する。

更に延期後5月28日は2号台風を迎えると言う、最悪の事態であった。天地異変が、付いて廻り、神がその旅行きを阻んでいるようでもあったが、それでも雨の中、僅かな欠席者もあったが、皆の熱意で決行した。

おりょうさん縁の横浜の田中屋、横須賀のおりょう会館に次いで、行ったのが軍艦三笠であった。
雨の中、滑る足元を、ほぼ垂直に近い梯子段をよじ登って、艦橋に出る。
歴史を変えた東郷平八郎か或いは天才と言われた秋山真之に気分は成りきって、艦上から、雄大な眺めをたっぷり味わった。
火を吹き、ロシア側戦艦を完膚無きまで叩き、撃沈させた主役の大きな砲門が実に印象的であった。

           <広瀬武夫の写真>

Hirose_takeo 短い時間の館内見学であったが、色々見る中で、広瀬武夫の写真の前に引き寄せられた。その夢とロマンが広瀬役を演じる藤本隆宏が重なりあい、ドラマのシーンが浮かび上がってくる。

                  <広瀬武夫役を勤める藤本隆宏>

Inter09_visual01

広瀬は日露戦争を予期し、ロシアへ留学してロシア語などを学び、貴族社会と交友し、ロシアを第二の故郷とこよなく、愛する存在になる。
友人のボリスとは絆を深めたが、日露戦争によって、そんな友情も、打ち砕かれ、敵味方となって相まみる悲劇が生れる。
中でも広瀬を愛し慕われていたアリアズナと語り合いや、広瀬が亡くなり、日露問わず、多くの人から、死を悼むシーンは思わず胸が熱くなってしまった。
広瀬役の藤本隆宏も以下のように語っており、広瀬役になりきっている姿が何とも共感をも呼ぶ。
「役者としてはあまり良くないのかもしれませんが、実は広瀬が亡くなる第9話の台本を読むと必ず涙が出てしまいます。」

                  <ロシアへ留学時代>Inter002

その死は広瀬(死後に中佐)と共に顕彰され、万世橋駅前に広瀬と共に銅像が建てられたが戦後撤去され、その陰も形も無くなっている。
他にも飛騨護国神社などに碑が建てられたようである。

文部省唱歌にもなった『広瀬中佐』の歌詞の最後の部分が何故か拝の幼き子供時代にも、意味の判らないまま伝わり記憶の中から蘇る。
♪♪・・・♪轟く砲音(つつおと)飛び来る弾丸(だんがん)
荒波洗うデッキの上に
闇を貫く中佐の叫び
「杉野は何処(いずこ)杉野は居ずや」

広瀬は第2回の旅順港閉塞作戦においては閉塞船福井丸を指揮する。撤退時に行方不明となった部下杉野孫七上等兵曹(戦死後兵曹長に昇進)を助けるため船内を3度捜索した後、救命ボート上で頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死。享年36。即日中佐に昇進した。

                <広瀬の遺体はロシア軍により手厚く埋葬>

Image1流れ着いた遺体はロシア軍により埋葬された。

ドラマはバルチック艦隊を迎え、終幕を迎える。

|

« うさぎ追いし、かの山 | トップページ | 日本海海戦 »

20、坂の上の雲」カテゴリの記事

コメント

幕末に興味がある私にとって、日清、日露戦争は
学生時代に習った知識位で、ほとんど無いに等しい位です。
 ただ、NHKが盛んに宣伝していましたので、興味を持っていましたが、一回で脱落しました。
 大河ドラマなどでは戦国時代は人気があるとの事ですが、私はほとんど興味がありません。
 その一方で、知識の幅を広げなければという気持ちも、最近してきました。
 で、検索をして、日清、日露について少し読んでみました。
 簡単にまとめると、日本は、日清、日露で勝利し、欧米からのアジア侵略を食い止める役割を果すと同時に、次は日本がアジアから権益を得ようとばかりに、中韓に進出をしてゆく、と。
 日露戦争後の韓国併合で、かの伊藤博文暗殺事件があり、その日本の傲慢なやり方に、朝河貫一という学者が、警鐘を鳴らし、第二次世界大戦と日本の破滅を予言している。
 まあ、日露戦争までは、日本もアジアの盾になるという、気概は確かにあったように思います。
 柴五郎大将も活躍してるんですよね。

投稿: 鳴門舟 | 2011年12月12日 (月) 00時52分

鳴門舟さんこんにちは
「坂の上の雲」
にはちょっとした思い入れがあり、しっかり見ています。
会社の先輩が亡くなり、会葬後、奥様からの挨拶のお手紙から、故人が「坂の上の雲」を愛読し、今頃、雲の上で杯を交わしているやら・・・の言葉にどうやら、感化されてしまったようです。

横須賀に戦艦三笠の艦橋に立ち 、観音崎では旅順陥落の決めてとなった28インチ砲のモニメントを見てきました。

幹部の大半が戊辰戦争に関わりを持ち、そう言う意味で幕末から維新の延長がこの戦とも思っています。
幹部が殆ど薩長ですが、唯一柴五郎大将が会津藩の出身で幹部に昇進された人物ですね

戊辰戦争の宮古湾の戦いでは幕府軍「回天」に乗った土方歳三であり、迎え撃った官軍に東郷平八郎が一仕官として軍艦「春日」に乗って参戦してます。
幕府側の官軍軍艦「甲鉄」奪取作戦は大量な犠牲を払いながら、失敗し退却してます。

実戦さながらの迫力ある戦闘シーンと双方に大量の犠牲者、一方では戦争のむごさをみるようですね

投稿: 隠れ新八 | 2011年12月13日 (火) 15時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/211410/43324883

この記事へのトラックバック一覧です: 広瀬中佐:

« うさぎ追いし、かの山 | トップページ | 日本海海戦 »