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Stand Aloneの心地良い、響き

終日、雨の予報と今にも降りそうな気配に傘を持って本陣に出かけた。
旗を掲げても、雨が降れば、撤収するのも、かったるいなあと思いつつ、何時もの様に
10本近くの旗を担ぎ、通りに面した場所に掲げ、いざ本番に備える。
しかし、結局は降らなかったばかりか、午後から日も出てくる天気に、予報が思い切り外れていた。
「なんてこったい、嘘つき天気予報め」
と思ったが、その雨降りの前触れもあったが、寒さもあって、出足をくじかれ、休日にも関わらず、何時もと違い、一桁違う寂しい来館であった。

100坪の館内の片隅に固まって、カーペットと電気ストーブで暖を取りながら、出番を待つ。拝は寒冷地仕様と皮下脂肪で、差程、寒さは苦にならず、まあ、我慢できる。
こんな日に限って、天候なにするものぞと歴史、取り分け幕末にかなり造詣の深い、ヘビーユーザも多い。こんな閑散であっても、対話の中で学ぶことも多い。

そんな一時、一通り、説明が終わっても、人気のない部屋で、立ち去り難く、その雰囲気・歴史の空気を確かめている。
静かに歳三や彦五郎の姿を追っているのであろうか、・・・。
「どちらからお見えですか」
「愛媛からです」
熱心な女性フアンである。
「愛媛? ・・・と言うと大河ドラマの"龍馬"」
「いえ、龍馬は高知、今は"坂の上の上の雲"です」
咄嗟の軽はずみな言葉に、丸抱えで四国の文化圏は一つとの勘違いで、思い切り外してしまった。

            坂の上の雲のエンデイングで登場する印象的なシーン

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その坂の上の上の雲は3年に亘る放映で、惜しみつつも終わってしまった。
朝の散歩で携帯ラジオは必携で出かける。
たまたま聞いていたのがNHKで偶然にも、聞き覚えのある、メロデーが流れる。
ああ忘れもしない、"Stand Alone", であった。

「ちいさな光が 歩んだ道を照らす
希望のつぼみが 遠くを見つめていた
迷い悩むほどに 人は強さを掴むから 夢をみる
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し・・・・」♪♪・・・♪

街中を歩きながらも、テーマ曲に映し出される、山の尾根の先にたなびく雲の情景が浮かんでくる。
実に響きのある素敵な唄である。
作った作曲家も坂の上の雲を熟読した上で、練り上げられた "Stand Alone"であった。

数有る司馬遼太郎作品が大河ドラマで取り上げられ、放映された。
坂の上の上の雲も何度かエントリーされたが、司馬遼太郎は頑に断った。
そして、故人となってから、漸く放映が実現された。
今頃、坂の上の上のたなびく雲の上から、司馬はきっと見ているだろう。
生きていればどんなコメントが返ってくるのであろうか・・・。

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国境の垣根を越えて伝わるもの

               <日野宿本陣、中庭>

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朝は氷点下の厳しい世界が続いている。
本陣の式台は威厳を表す格式の世界であり、何時も開けっ放しで北風が建屋に吹き抜け寒さが畳からも伝わってくる。
佐藤彦五郎の妻、おのぶさんが亡くなったのは明治10年1月16日の雪の日と記録されているが、丁度今頃の正に寒い日に47歳の生涯を閉じた。
こんな寒い日に、熱心な来館者が訪れる。戊辰戦争の奥羽列藩同盟の縁の、仙台やその周辺から色々な想いを巡らし、じっくり見ておきたいと言うことであった。

◇シンガポールから新選組
一方、外見は日本人と殆ど変わらぬシンガポールの女性の二人がサポートも無く、訪れた。

単に和風建築の日本文化の触れ合いに観光目的の来訪と思ったが、れっきとした「ヒジカタ・オキタ・サイトウ」などの人物が自ら出てくる 新選組フアンと聞き驚いた。
日本語は理解していると言うが、通常の会話なら問題ないが、専門用語などはやはり首傾げ、時には筆談に頷き、一歩一歩、彼女らの理解を確認しながらゆっくりしたペースで進めた。
幸いにして他にお客も居なかったことから、二人にフルサポート出来た。
案内しながらも熱心に聞き、頷く姿に「何故、シンガポールで新選組」がむしろ気になって、仕方がなかった。
一通り、案内を終わり、愚問かも知れないが、尋ねたら、どうやらアニメのようであった。

家に帰ってその仔細を調べる。新選組アニメ『薄桜鬼』であった。
エンタメ業界からも注目される年末の一大イベントとなった「コミックマーケット81(コミケ81)」(2011年12月29~31日)の参加者総数が50万人を記録した。震災・超円高により海外から遠征する参加者・・・の記事に始めて納得した。

お二人はお勤人、わざわざ休暇を取って来日、その一日がどうやら本陣であったようだ。彼女達曰く、日本人は年末、年始に沢山休むが、私達は働け、働けで、年始にそれ程の想い入れもなく、通常の休暇の一環での来日と言われた。

◇chejuの地で、司馬遼太郎の登場
話が変わるが、数年前、韓国のchejuで流暢な日本語を駆使した献身的な女性ガイド文(moon)さんにお世話になった話を此処でも書いた。
仕事で韓国と関わりを持ち、多数の出会いがあったが、文の姓は少ない部類と思うが、chejuに生れ、育った生粋のcheju人であることが後で判った。彼女の広い知識に、観光地、食事所、お土産屋とcheju島内の東西南北を楽しく駆けめぐった。
そのmoonさんの口から何と、司馬遼太郎の「眈羅(たんら)紀行」の紹介があった。日本に隣接しているとはいえ異国の地でmoonさんが淡々と語る、中に突然の司馬作品の登場に驚いた。

全国を歩く「街道をゆく」シリーズは何冊か読んでいるが、「眈羅紀行」は見落としていた。

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◇国境を超えた二つの外国人の話し
アニュメ『薄桜鬼』や司馬遼太郎の紀行文、国境の垣根を越えて、色々な形で情報や文化が広がり知れ渡っている現実の世界に驚愕した。
激しく燃えるナショナリズムに領土問題や過去の歴史問題をマスコミで鮮烈に報じられるが、一方では若い世代など、こうしたチャンネルも静かに広がって居る事に安堵した。

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