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多摩の天然理心流

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◇多摩地域の拡がり
多摩に展開する天然理心流について、今まで訪ねあてた史蹟を地図上に整理してみた。
地図上では東に多摩郡府中(現府中市)大国魂神社、西に下恩方村(八王子市)山本満次郎、南に多摩小野寺村(町田市)小島鹿之助、北に多摩郡二宮村(現あきる野市)井上才市まで、天然理心流にとって縁の場所と人物である。未だ未だ埋もれているものが沢山あると思われるが、こうして地図で軌跡を辿って見ると広い地域に及んでいる。時間もかかったが剣術の姿に取りつかれ、我ながらよくぞ廻った。

地図のメッシュ・表記範囲から、表記出来る範囲におのずと限界があり、東西に分けて描ける範囲で作画してみた。

◇その源流は
八王子の戸吹から始まった天然理心流は剣術・柔術・棍法の三術を宗家の初代から二代、さらに増田蔵六に受け継がれる戸吹派の歴史の流れ。
一方では 天然理心流でも剣術のみで受け継がれ小山の近藤周助から近藤勇へ、出稽古で日野宿を中心に広まり、やがて新選組で一躍、天然理心流の知名度を全国版で広めていったのが周助派の歴史の流れ。

              <桂福寺の天然理心流の宗家の墓>                

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◇時代の流れの中で
二代目宗家、近藤三助の出稽古先の謎の死。近藤勇の処刑から、天然理心流を通じて、新政府から追求を避けるため宗家の墓を埋めてしまった。昭和の時代を迎え、末裔の方達によって破壊された墓石や埋めてしまった墓石が掘り起こされ、再び復元された。再び蘇った墓石の姿に戊辰戦役の傷が生生しく歴史の傷跡を今日に伝えてくれる桂福寺。

徳川の天領と言われる地域にも関わらず、天然理心流から北辰一刀流へ流派を越えて極めた剣士が攘夷活動に身を置き、一時天狗党などと行動を共にするが、新微組に追われ惨殺されてしまう真田範之助。その怨恨から実弟が、勝沼戦争で敗走する近藤勇を、浅川の大和田の渡しで襲撃するが、軽くかわされる勇襲撃事件。

新選組に入隊し戊辰戦争に突入し、土方歳三らと一緒に北に向かい、捕縛される者。倒幕の嵐から新政府に変っていく歴史のうねりのなかで天然理心流の姿と、武士の生きざまを今日に伝える、殉節両雄之碑。

天然理心流の指南の傍ら、伝統の下原刀の鍛治職を守ってきたが、近代の戦争で武器として刀の時代が淘汰され、自ら切腹する、武士魂を貫く山本満次郎。
などなど

明治時代になって、前述の通り新選組は敗者の歴史を辿り宗家四代目が近藤勇であったため、新政府から賊軍の武術として禁じられ、「みだりに見せない教えない」ということもあって、幕末期に旺盛を極めた同流派もかなり淘汰されてしまったところもある。一方では流租近藤蔵之助の教えを守って、稽古に励み、同流の現代への橋渡しに尽力されている、新選組ご子孫もおられる。

多摩地域の天然理心流を地図から辿ってみよう。
多摩の天然理心流

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