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夏休みの宿題

             <本陣、中庭>01130031

8月を迎え日の入り時間がめっきり早くなった。
猛烈な暑さは相変わらずであるが、朝晩は多少の冷気にホットさせられる。
担当の都合で急遽本陣の出番となった。

平日であるが学校は夏休み、こんな時期にはお父さんは会社で汗をかいて、いるので、お母さんと子供の連れ合いが、何時になく多い。
そんな連れ合いに、お母さんは独身時代からの暦女で子育の忙殺から開放され、せめて子供達に夏休みの宿題をかねて、やってくる。もとより暦女として深めた知見を背景に自分も楽しみ、歴史の仲間作りに、子供を連れてくることも多い。

小学1年生と5年生の男の子と母親の連れ合いでやってきた。
恐らく母親が無理きり引っ張り、やってきたと思いつつ、訪ねたら、いやいや、当方の全くの見当違いであった。
5年生の子が歴史好き、母親は元より歴史は理解するものの、子供にせがまれ只付いてきただけであった。

小さなノートとエンピツを持ち、一生懸命メモを取っていた。
そんなひたむきさに、心打たれ、案内する言葉も、選びメモ書きに合わせ、ゆっくり案内した。
専門的な言葉は、敢えて文字を書き、話が一方通行にならないよう心がけた。
こんな事が出来るのも、平日で、来館者も少ないために、こんなことも出来る。

このお兄ちゃんの姿に、影響されたのか、1年生の子も、普段無縁な世界の話しに退屈の余り、散漫となりがちであるが、広々とした畳みで暴走せず、しっかりお兄ちゃんの後を追っている。
何ともしっかりした男の兄弟に家族の躾けが、備わった麗しい親子連れであった。

折しも、幕末に信州の上田藩の熱心な教育環境の一つ藩校明倫堂で才覚を磨かれ上田藩の一藩士赤松小三郎姿が重なってくる。
小三郎は江戸に出て勝麟太郎(海舟)の門に学び、安政2年(1865)勝海舟に随行して長崎海軍伝習所に行き、オランダ人より蘭学・英学・兵学・航海術を修める。
京都に移り、私塾「宇宙堂」を開き、英国式兵学を教える。

門下生には、薩摩・肥後・会津・越前・大垣などの各藩士から新選組の隊士や、日露戦争など近代戦役における軍幹部となった、薩摩藩士の面々も含まれる。

小三郎は幕政改革に建白書を松平春嶽に提出しているが、その考え方が龍馬が作った船中八朔のひな型とも言われている。
小三郎の時代を越えた先読みは広く評価されたが、倒幕に傾注する薩摩藩に時代の逸材は抹殺されてしまう。

謂わば隠れた時代のヒーロであるが郷土史家が取り上げる程度で、龍馬人気の陰に、余り表には出てこない。

しっかりとメモを取り、学ぶ姿は小三郎の少年時代の姿を想い浮かばれる。
そんな小三郎は以下で書いてみた。

船中八朔を生んだ「赤松小三郎」

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