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東山温泉で歳三の気も

Image11        <東山温泉 「原瀧」 野天風呂>

長い長い猛烈な暑い日が続いたが、秋を通り越して、一段と寒くなってしまった。
身勝手な温度急変に体が付いて行けず、あちこちにマスクの姿が見受けられるようになった。
一気の温度の急変は腰が重く、座ったたり、立ち上がったりは腰に負担がかかる。
前々から予定していた、白河、会津行きは、そんな変調の中、まあ何とかなるだろうと、参加した。
長い時間の着座はそれ程、苦にならないが、車から降りて、歩く時は腰をかがめ、まったくのじいさんそのものであった。
腰をかがめ、案内されるまま何とか白河の拠点を廻った。

戊辰戦争の1日の戦いで両軍合わせて1000人近くが亡くなる激戦地の白河口を廻り、墓石や碑の渦であった。
会津から駆けつけ、斉藤一、率いる再編成の新選組のデビュウ戦の姿も追った。
その時、歳三は会津に居たが、治癒に専念していた。

歳三の傷は戊辰の戦いで宇都宮まで遡る。
新政府軍は宇都宮城の攻防戦で一度落とされた城を奪環すべく、城下の西で 激しい攻防戦でかなりの死傷者が出た。その時歳三は足の指を銃創する重傷を負い戦線を離脱する。新選組隊士に介護され今市に搬送される。
負傷した会津藩士秋月登之助と会津入りし、田島陣屋で別れ、6人の隊士と城下七日町、清水屋に行く。
深い傷を負った歳三は約3カ月を戦線の第一線を外れ、治癒に専念し、 東山温泉でも、しばしば療養に訪れた
歳三の姿を目撃した人も多いと言われている。
湯にうたれ、治癒する傍ら、戊辰の戦いで、東西を目まぐるしく駆けめぐった足跡を振り返りながら、束の間の休息を取り、明日の英気を養ったのでは無かろうか。

新選組が会津から出陣し、白河へ。新政府軍に白河城を奪取され、新選組は敗退し、再び福良へ滞陣している。
その福良から出発した車は国道49号線で猪苗代湖の西側の湖岸沿いを走り、今晩泊まる東山温泉へ向かう。
歳三が傷を癒したのは会津藩の座敷役場を兼ねた旅館「瀧の湯」(のちの旅館 松島、現在の「庄助の宿 瀧の湯」)であった


凄い賑わいに予約取れず、同じ東山温泉の「原瀧」であったが、同じ源泉であるから歳三と一緒の湯の仲間と思えば良し。
「ああ~これで、会津で身も心も、同じ湯船で」幕末の歳三の想いを重ねながら、湯に浸った。
日野に住み、一度は来たかった東山温泉、ようやく念願叶った、贅沢の一時であった。

硬くなった筋肉が、湯の温もりで温まり、腰痛の痛みが湯に浸かっている間は忘れさせた。
歳三同様、長期間の治癒にこのまま湯治の世界にと思ったが、団体旅に許せなかった。
歳三の気合を貰い、治癒されと思ったが、やはり甘かった。再び腰を曲げての旅であった。
そもそも心がネジ曲がり、体も歪んでしまったのであろうか?
生活も性格も改善しないと、根治は難しいとの結論であった。(笑い)

以下の紀行文から

白河口の戦い

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