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ひのを駆けめぐる。その1

          <六地蔵>

050600241梅の芽が少し出てきたが、未だ未だ寒さの最前線、日野の歴史巡りをやってみた。
途中で合流した1名を加え総勢8名の歴史大好きの方である。
よそ者から見れば、地元在住で多少の知ったかぶりを披露してしまった。
元より、新選組がベースであるが、普段、見失いがちな足元の歴史もこんなこともあるよと聞いて頂いた。
日野駅から旧道を西へ、宿の出入り口の西の地蔵さんである。
六地蔵はこれから向かう法泉寺、大昌寺、石田寺にあるが、寺は現世とあの世の境界を守護するが街角にあるのは亡くなった後の別れ行く場所である。
迷いの世界「六道」は「天」「人」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」とあり、それぞれの世界で仏になれるものと、「畜生」以下は三悪趣とも言われ、ひたすら罪を償えなんてものもある。「何れ来成の世界へ、出来れば「修羅」以上で迎えたいね」
慶応3年この地蔵さんの前を薩摩の浪士を追っかけ、横山宿(八王子)へ。佐藤彦五郎、以下が向かったが、馬場市次郎は即死、山崎は後日亡くなる、壺伊勢屋事件が起きている。
翌年、近藤勇以下が意気に燃えて東征軍の東下を阻止すべき甲府に向かったが、途中の塩山で敗れた。

風雲告げる幕末にお地蔵さんは目の前の衆を見ていたのである。

          <法泉寺 山門>Image1 向かい側の法泉寺へ源さんの所に行く前、金丸四郎兵衛の墓に寄る。こんな乗りの、良い唄がある
①今は昔の物語、徳川七代将軍の、家継ぎ様の大奥に
美人のほまれ名も高き、老女絵島と山村座俳優生島新五郎
これが情話の数々に、まつわり来る物語
勘定方の役人の金丸四郎兵衛定曹(さだとも)も八丈島に流されて洞期をつとめ島帰り、花のお江戸を後にして里にむかいて旅立ちぬ

四郎兵衛さんは浪人に成り下がり、他の事件に関与、追われる身、法泉寺に寄った折に
此処で自害。その墓を撫でると病が直ると言われ、ツンツルテンの墓石が目印であるが、知る人ぞ知るで、忘れられかけている。

            <金丸四郎兵衛の墓>

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日野にも八王子千人同心を代々勤める井上家。七代目として兄松五郎は将軍家茂の警護、弟源三郎も浪士組として参加、後の新選組、更に松五郎の息子泰助も新選組へ入隊。
家族ぐるみ幕府に身を注いだが、源三郎は鳥羽伏見の戦いで戦死。追っ手の新政府軍を背後に叔父さんの首と刀を持ち出そうと泰助少年は頑張ったが、叶わなかった。


甲州道を跨いで北原の源三郎の生家、から、やんめ地蔵へ。
姉ミツに手をひかれ幼い総司が手をあわせたのであろうか、そのお地蔵さんを収容する館が建て替えられ、真っ赤な唐がらしが添えてあった。
幕末で活躍した剣士、市次郎と兵助を輩出した現馬場市長宅の前を通り、甲州道を南側に戻る。
高幡不動への参拝道であった、一方通行の路地、大門を通り、 大昌寺の参道に通じる。

<大昌寺>090500491この紋が目に入らぬか、 葵の御紋、徳川家の一つの檀家寺の芝の増上寺に繋がる本堂の頂部には葵の御紋が眩しく輝いている大昌寺に入る。
墓石の一番南側の奥に佐藤彦五郎と妻で歳三の姉、おのぶさんの下佐藤家、隣に上佐藤家の、有力な檀家が隣り合わせに居並ぶ。
その道を挟んで彦五郎の息子の養子先である有山家、更に馬場家の墓が居並ぶ。


「おーい」と声を掛ければ、天然理心流の門人達が、直ぐ集まるように肩を寄せ合っている。
墓石に居並ぶ墓碑の没年と俗名が、日野宿を駆けめぐった「嘉永の火事」「壺伊勢屋事件」などで亡くなった方々の記録が生生しく語り伝えてくれる。

大昌寺から本陣へ、向かう。マンション化された上佐藤家で僅かに玄関部分だけが、本陣の面影を留める。何時も目にする本陣がこちらから、見ると側面から、別の姿が確かめられる。

下佐藤家の門を潜ると中庭の二本の梅の木が、僅かに芽が出始めていた。
歳三の姉おのぶさんを彦五郎は妻として迎える。33年間を子育てし、明治10年1月亡くなる。
丁度今頃の雪の降る日、苦楽を共にし、ようやく新しい時代を迎えた間もない、旅発ちに
「散る雪や、柳を見ても、梅みても」の句を残している。
参勤交代から始まり、甲陽鎮撫隊、大量な集団で訪れた明治天皇京都行幸、兎狩りで山岡鉄舟を従え、再び訪れた明治天皇の話しなど、語り尽くせない程の話しを一気に披露。
幕末から維新にかけて、この式台から玄関口へ、出迎えた格式の重さを語り伝えている。
新選組の名が知れ渡り、歳三は隊士募集で江戸へ、戻り、我が家同然の玄関口で寝てしまった。
そんなパワースポットに、同行の仲間が、歳三の寝姿を重ね併せ、横になり歳三の世界へ、記念写真を納めご満悦であった。

                                        <有山家>

09050041_2 

本陣の御前の間、上段の間は明治26年の火事で燃えた息子の養子先への有山家へ、ダイナミックに曳屋された。
その有山家に一風変ったモダンナ洋風建築、維新間もない時期の渡米、日野の最初の銀行創立など彦吉の野心を物語る象徴的な建物である。
早足で日野地区の歴史の姿を見て貰う。
折から、風が強く、寒さが一気に、体を吹き抜ける。
このあと、高幡地区へ、記事は一端、ここで中終いとする。次回改めてこの続きを

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