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彦五郎の晩年に思う

連日35℃を越えるこのくそ暑い日々、一向に下がる気配を見せず、何時まで続くのであろうか・・・。
パタパタと背後から、顔面近くをよぎって、道端にぽとりと落ち、仰向けにひっくり返った最後の力を振り絞り、パタパタと羽根を立てるが力尽きて果てる。道端には累々とした蝉の死体が見受けられる。
そんな暑さの象徴の油セミから、朝の早い時間にカナカナと涼しげな声を出すカナカナ蝉とも言われるヒグラシがこの暑さの終幕を告げる様な感じもする。
本陣の開館前に中庭で砂利かきをするが、この暑さに、多少の涼気を呼ぼうと、大量の水撒きするが、この熱気に忽ち乾いてしまう。朝とはいえ容赦ない日照りに、吹き出る汗は留まらず、全身びしょ濡れ、開館前にユニフォームに着替え、清涼な気分で出迎える。

こんな暑さのおり、季節柄、佐藤彦五郎の俳句が浮かんでくる。

             <彦五郎晩年暮らした部屋>

04110023佐藤彦五郎は明治維新を迎え、参勤交替や、問屋場など幕府直轄領としての重職を解かれた。時代の渦に巻き込まれ、旧幕府軍を支えた新選組も戊辰役終焉で波瀾万丈の世界は終わった。維新以降も区長や南多摩郡長を務めるなど公職に携わったが、息子に譲りをその要職も解かれ、村事と俳句三昧の世界に入り、この「中の間」で悠々と余生を送った。

「一と筋に 道は平らの 夏のかな」
これまでの人生は名主、問屋場の仕事、新選組を支えたことなど波瀾万丈の人生であったが、これから行く先は高い山も深い谷もなく平坦で、夏の暑い日差しの中に、真っ直ぐな一筋の道 が見えてくる。

「行く先は知らねど知れて夏野越」。
死んでから行く先のことまでは知らないが、もうそろそろお呼びがかかる頃だということは判っている。それにしてもこんなに弱った体、よくもまあこの夏の酷暑を乗り越えられたものだ、若い頃天然理心流で鍛えたお蔭かも知れぬ。

◆淡々とを死を迎える

この連作は死の床について数カ月、「この夏は越えられないと思っていたが 、何とか越えられた」という安堵感と「もはや死は避けられぬ」と言う諦観が漂っている。
来るべき死を前に、覚悟は出来、淡々と迎えるだけと達観した彦五郎の気持ちが、この連句に乗せられているようである
明治35年(1902)9月17日、彦五郎は満76歳で没する。
「喜寿まで生きたいものだ」と言っていた言葉が数え年では達成されている。

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04、佐藤彦五郎・日野宿本陣」カテゴリの記事

コメント

松崎さん♪
今日は素敵なガイドありがとうございました!お決まりの内容でなく、深くて広い知識の上のガイド…このHPを拝見して納得しました~
本当に今日は楽しかったです!松崎さんはガイドというお仕事は天職ですね。にこやかに楽しそうにお話して下さるので私も楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいました
彦五郎さんとノブさんの仲睦まじいお話にジーンとして、句を聞き枕を見て鳥肌が…
今日は初めて聞くお話が沢山で本当に勉強になりました。そしてこちらのHPもじっくりと読んで勉強させていただきます!
お体に気を付けてこれからも沢山の新選組ファンを唸らせてください

投稿: よしざき | 2013年8月23日 (金) 17時22分

よしざきさん
早速、感想を頂き嬉しく思います
蒸し暑い日でしたが、ゆっくりご案内が出来ました。幕末から維新に掛けて、激動の時期に此処で暮らした彦五郎とオノブが暮らした中での夫婦愛が、時を越えて、そっくり残されているようです。

「散る雪や柳を見ても、梅見ても」
淡々と残された俳句も、現代でも通じる大事な遺産なのでしょうね

幕末を確かめ会う、巡り合わせを大事にしたいと思います。好奇心に赴くままの拙いサイトですが、御贔屓に宜しくお願いします。

投稿: 隠れ新八 | 2013年8月25日 (日) 09時10分

はじめまして。9/8に大昌寺で、佐藤彦五郎忌があり、行ってまいりました。法要後、お墓参りをしました。第2部は中島登ご子孫の方の講演会がありました。

投稿: やぶひび | 2013年9月10日 (火) 08時06分

やぶひびさん
はじめまして、ようこそいらっしゃいました。

彦五郎忌、出席されたようでご苦労さまでした。
彦五郎さん、たっぷり供養できましたか・・・。

中島家の末裔、多分、中島大成さんかと思いますが、変化に富んだ中島登の生涯を語られたのでしょうね。
八王子から出た新選組隊士、希少な存在。私も追っかけ、八王子から浜松まで行きました。
登は色々のものを残しているが、その一つが浜松の銃砲店でしたが、もう閉店されたとか、寂しい限りです。

今後とも、ご贔屓に、気楽にお寄りください。

投稿: 隠れ新八 | 2013年9月10日 (火) 23時22分

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