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日野、駆けめぐり「こんな事もあり」

未だ正月気分が明けきらない日に、日野の史蹟巡りを実施した。
山岡鉄舟研究会の史蹟巡りが半年先であるが、具体化するための第一歩として、研究会のスタッフYさんに下見をして頂く、ことであった。
前日は北風が吹き下ろし終日寒く、放射冷却で零下の厳寒の朝であったが、日中は風も収まり穏やかな散策日和であった。
午前中は旧日野宿を中心に回り、午後から万願寺で歳三の生家跡石田寺を廻り、浅川沿いを高幡不動へ向かう、タフなコースであった。
そもそも、鉄舟と日野との繋がりは文久3年(1863)徳川家茂公の上洛時の京の治安維持に江戸の浪人を集め浪士組として上洛するが、清川八郎の献策を具体化する「浪士取締役」を担ったのが鉄舟であった。その後、浪士は江戸に帰還するが、京の治安維持に残留したのが後の新選組となる。
その新選組には日野からは土方歳三、井上源三郎が参加し、中核を担う活躍をしている。
維新後、鉄舟は明治天皇の侍従となり、明治13年の明治天皇の京都行幸や翌14年の多摩丘陵の兎狩りに同行しており、日野宿本陣に一緒に休んでいる。
そんな繋がりから日野も、史蹟巡りとして見ておきたい一つとされたと思われる。
さて、その日野も新選組が大河ドラマにまで取り上げられ、町おこしのブームまで起きたが、既に10年以上も経過し、一部では淘汰されているものが散見され、そのまま埋もれてしまう事を危惧する。
今回、新選組関連の遺跡は当サイトでも書き、ネットでも色々報じられているので割愛する。日野の歴史を伝える大事な遺産ではあるが、「忘れてはならない、こんなことがあること」も思いつくまま、書いてみた。

◇西の地蔵さん

050600241 甲州道、日野宿の西の玄関口である。
坂が背後のJR中央線の踏切で繋がっていたが永久に遮断されてしまった。甲州道を行き交う旅人。参勤交代の大名。慶応4年甲府へ東征軍を迎え撃つ、勇以下甲陽鎮撫隊。その鎮撫隊を撃破して日野宿探索に宿を震えあがらせた東征軍の迅衝隊。等々歴史の流れの行列を目の前で地蔵さんが見ている。

◇金丸四浪兵衛の墓

050600421 地蔵さんの向かい側に目の前の法泉寺へ、山門を潜って左側に金丸四浪兵衛の墓がある。
乗りの良い唄がある(一部のみ)
「今は昔の物語、徳川七代将軍の、家継ぎ様の大奥に 美人のほまれ名も高き、老女絵島と山村座俳優生島新五郎 、 これが情話の数々に、まつわり来る物語。
勘定方の役人の金丸四郎兵衛定曹(さだとも)も八丈島に流されて、洞期をつとめ島帰り、花のお江戸を後にして里にむかいて旅立ちぬ」
四郎兵衛さん浪人に成り下がり、他の事件に関与、追われる身、法泉寺に寄った折に此処で自害。 かってあった案内板もなくなり、その墓を撫でると病が直ると言われ、ツンツルテンの墓石が唯一の目印である。
高遠の絵島は有名だが、日野にも、関与した人物が眠っているが、知る人ぞ知るで、忘れかけている。

◇日野宿本陣
都内で唯一残された本陣(正式には脇本陣)、日野宿名主を勤めた佐藤彦五郎邸。邸内の一画で天然理心流を稽古し、上述の浪士組の送り出し、京都残留後の新選組を物心両面で支えている。
甲陽鎮撫隊が甲府行きの時、勇以下が休憩している。勝沼で甲陽鎮撫隊を破った東征軍の迅衝隊の日野宿探索のターゲットは当然、本陣であり、留守居役が捕まり、彦五郎以下は追求を恐れ、五日市他へ身を隠した。この間近藤勇の処刑などあるが、彦五郎は助命嘆願し、約1カ月後、戻ってくる。
時代が代わり維新以降では京都行幸や兎狩で明治天皇を迎え、側近として同行した参議伊藤博文や太政大臣三条実美を迎えるなど時代の変革の嵐の中に晒された。徳川天領地として徳川を支えた日野の気風が、根強く、複雑な思いで、維新を迎えたのであろう。

兎狩での来宅は急であったようで、鉄舟から「聖上に酒を差し上げる用意に」
上酒は土地に無く、彦五郎は最上の地酒を取り寄せ差し上げ何とか取り継ぐった。聖上のお笑い声に、彦五郎は何か粗忽でもあったと心配したが、後で鉄舟から、襖の太田蜀山人の狂歌にお笑いになったと聞かされ、彦五郎は思わぬ光栄に胸が躍ったとのことであった。

聖上は愛馬「金華山」に乗り、鉄舟と共に雪の中、多摩の連光寺へ颯爽と向かった。

◇有山邸

100100061本陣の御前の間、上段の間は明治26年の火事で燃えた彦五郎の息子の養子先、有山家へ、ダイナミックに曳屋された。建物は現存するが非公開である。その有山家に一風変ったモダンナ洋風建築が、甲州道沿いにある。
維新間もない時期の渡米、日野の最初の銀行創立など実業家として彦吉の野心を物語る象徴的な建物が、華麗な面影を残し軒を並べている。

日野地区から浅川沿いで高幡地区へ、結構タフなコース。同行頂き、先の長い準備の第一歩を道中、無事く完走できた。旅の締めくくりに、一献交わし、幕末を熱く語り合い、時間の経つのも忘れ、楽しい一日であった。

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