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普門寺の火事

           <炎上 した普門寺の本堂。屋根瓦は落ち、内部は燃え尽きている>Img_50242111本陣の当番日である2014年1月11日、旧甲州道は消防車両で埋まり、大渋滞の一般車両で只後とならぬ異常事態であった。炭で真っ黒な消防隊員が走り回っていたが、既に鎮火した後であったが普門寺本堂と隣接する家屋が火災で焼け落ちていた。
本堂は壁を残して、内部は完全に焼き付けており、再び戻すことの出来ない歴史遺産を瞬時で失うことは大きい。

しかし、本堂の南側の有形文化財に指定されている江戸時代後期の「観音堂」は無事であったのは救われた。
普門寺は日野宿の中心に位置しており、日野の歴史を語るには欠かせない存在である。
ここでは幕末から維新に絞って、役割を果たした舞台と、日野の歴史に関わった有力な檀家高木家について触れてみたい。

<農兵隊屯所>

      <罹災から免れた 観音堂。農兵隊屯所として使われた>

Img_501621111<農兵隊屯所>
嘉永3年折しも黒船騒ぎに、国防治安の声高く、文久3年(1863)御代官江川太郎左衛門は管下に命令し日野宿組合農兵隊を組織した。
隊長役は伊豆韮山の江川代官邸で洋式訓練や操銃術の稽古を受けた名主佐藤彦五郎の長男の源之助、と上名主の長男隆之助の二人に15~45才の精選された30人が農兵として集められた。
宿有力者から献納金で鉄砲や練習所費用が賄われ、多摩川河原で調練を励み、普門寺、宝泉寺を修練場として呼び、事務所として使う屯所とした。
宿内の5人の千人同心の教導で河原に出て練兵、射的を勉励し、春秋2回は江川代官配下の3教官が派遣され、オランダ式操銃練兵術も習っている。
元より天然理心流の門弟の多くも農兵隊に参加しており、最大60名とも言われ、江川代官配下で銃を担ぎ近代化を遂げ国防に励む、集団がこの辺で見られたのである。<高木家>
普門寺の一角に日野宿の代表的旧家の一つで、高木家一族の墓がある。


<高木長次郎>
高木長次郎、後に2代目吉蔵は文政10年(1827)生まれる。農業のかたわら家業として質屋「角屋」を経営していた。
長次郎は多摩地域の豪農に見られるように天然理心流に励んで免許まで取っている。
安政5年(1858)秋には、日野宿鎮守の牛頭(ゴズ)天王社(八坂神社)へ剣術上達を祈願する額を奉納しているが日野宿の天然理心流最古参剣士として名を連ねる。文久3年(1863)の浪士組上洛の際に上洛している。

慶応3年(1867)「御用盗」と言われた薩摩藩の浪人捕縛の八王子壺伊勢事件では佐藤彦五郎以下総員7人の日野宿の剣士の一人として参加している。

慶応4年(1868)近藤勇が甲陽鎮撫隊を編成し、甲州道中を甲府城へ向かった。日野宿の農兵22人の中の一人として参加する。勝沼で破れ、それぞれ身を隠したが、長次郎は御獄山のお宮の黒田家から大岳山の山小屋に匿われ、約1年後赦免され日野に戻った。明治14年(1881)で没する。
日野宿の天然理心流の剣士の一人として、日野宿の運命を背負いながら幕末を生き抜いている。

<長次郎の子息>
長男の吉造は安政元年(1854)誕生する。
明治5年(1872)記者になって1年間アメリカ・ボストンに渡っている。明治10年西南戦争に志願兵として出征する。
自由民権運動に参加し、自由党に入党するなど多摩地域に起きた政治活動の推進役を果たす。
一方、日野銀行の取締役や、実弟とレンガ製造所の設立に参加するなど事業を起こしたが、明治26年、39歳で亡くなる。
次男浜の助は安政3年(1856)誕生する。
慶応3年(1867)11歳で普門寺の住職隆有の弟子になって入門する。
明治3年(1870)土淵姓を名乗り、分家として「英(はなぶさ)」と改名し、僅か15歳で日野八坂神社の宮司となる。
明治5年(1872)山岡鉄舟の門人として弟子入りし、玄関番から始めたと言う。
明治21年レンガ製造所を設立するが、明治23年(1890)に急死し、レンガ製造所も閉鎖される。
因みに製造された煉瓦50万個の一部は多摩川、浅川の鉄橋で現代でも使われている。

<山岡鉄舟との関わり>
新選組以来山岡鉄舟と懇意としており、山岡鉄舟が日野に訪れた時、八坂神社神官の土淵家と高木家へ度々訪れたようで、各種の掛け軸や刀剣など譲られている。
山岡鉄舟は誰でも頼まれるとすぐ書いたが、しっかり対価は貰ったようで、鉄舟居士の禅書として宿内に多数出回ったようである。

<最後に>
何時起きるか、判らない火事は時代を越えて、常について廻る。一瞬にして焼き尽くし、失うものは大きく、改めて火事の恐ろしさを見て、身の引き締まる思いがする。
被災された方々には見舞申し上げると共に、歴史を語り伝える象徴として、早期の復元を待ちわびたい。

詳細はこちらで紹介されています。ご覧ください

万願寺の渡しから日野宿へ

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