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とんだ、「都市伝説」にのせられた

    <駿河城で見つけた葵の葉(徳川家の家紋)>Image11111

某テレビ番組の制作担当から、
当ホームページを拝見され
ホームページ中で使用している画像を
番組内で使用させていただけないかという
ご相談の問いかけが、拝の掲示板を通じてあった。

どんなテーマかどんな形でメデイアに乗るのか、断る術もなく、電話で応じた。周辺の土地事情を中心に、40分近くに及ぶ、聞き込み、調査であった。

<先方曰く>
『いろいろ調べたが不明瞭であるが、徳川家の屋敷を国が没収したのか、歴史上の真実か知りたい。
十六代将軍徳川家達が徳川邸に住んでおり、その家達が中心になって東京オリンピック招致をしたようであるが、実現しないまま1940年に亡くなる。
戦後の1964年に晴れて東京オリンピックが開催された。
そのオリンピックの開催に関わり、この土地収容を巡り、徳川家と国との間で激しい確執があったとの話であった。』

折しもオリンピック開催に沸く、千駄ヶ谷周辺が都市伝説に繋げ視聴者の話題を呼び起こそうとするのであろうか・・・?

電話でのやりとりに、そんな話があったのか、正確ではないが、半信半疑にその場は先方の話を聞いてはみた。

暫くして、手持ちの史料を振り返ってみる。

明治17年(1884)家正(家達の長男、17代将軍)誕生

明治20年(1887)明治天皇行幸(旧邸母屋付近に碑が残る)
明治23年(1890) 家達貴族院議員
大正6年 (1917) 新邸完成 900坪 (敷地約13千坪) 旧邸母屋(明治天皇行幸)を残して壊す
昭和11年(1936) 家英逝去(家正の長男25歳)・・・(*18代を継ぐ予定であったが)
昭和15年(1940) 家達逝去 (*2年前ロンドンで赤十字会議に赴く途中でカナダのロッキーで心臓発作、以来病状のまま、急性肺炎で亡くなる)
昭和18年(1943) 徳川邸(新邸)は東京都に引渡。 宗家は家正夫妻、泰子家達の妻だけになってしまい原宿に転居している。

<そんなことから>
家達がオリンピックに招致とあるが、カナダで倒れ、病床につき、そんなエネルギーは持ち合わせてない。
家達自身も外国生活も長かったことから、自由闊達であり、将軍家の十六代に拘らず、明治以降は徳川家の初代とも言い切り、新しい時代を率直に受け入れている。
残された末裔も第二次世界大戦以降は華族制度も廃止され、飾り物のような特権意識は既に過去のものと、離別されている。
そんな背景から、土地収用を巡り、徳川家と国家との間による争点はとても、考えられない。

歴史事実を整理し、先方へメールで送付したが、何の反応もなかった。単なる妄想としか思えない。
ネットで見ると「信じるも信じないのもあなた次第」   売り言葉になっている。
TVと言うメディアに釣られ、こんな言葉に乗せられてしまった。

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09、四谷・千駄ヶ谷歴史散策」カテゴリの記事

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