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かく戦えり、「真田一族」 その二

かく戦えり、「真田一族」 その一 より

             <松代城跡>

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◇)転封された「信之」の抵抗
徳川秀忠は関ヶ原の戦いを前に、真田父弟らの戦闘で遅参したことや、大坂の陣におい真田軍を苦しめたことから「信之」は「秀忠」に睨まれることが多く、そのために献身的に幕府の公役を務めたといわれる。松代への移封は加増されているとは言え「秀忠」の嫌がらせの一つとされている。

「信之」は温厚な人物だったといわれるが、屈辱的な松代移封には不服を持ち、検地資料などの重要書類を焼き捨てた上でさらに上田城の植木や燈籠などを全て引き抜き、持ち去ったと言われる。
松代へ移封した後「信之」は倹約しながらも、九度山へ配流された父弟にも生活が困らぬよう自費で生活援助を行っていた。
「信之」が松代へ移封になった時、父の形見として、本丸の石垣の、高さが2.5m、幅が3mもある「真田石」持って行こうとしたが動かぬ巨大石に諦めたと言われている。

◇信濃の雄藩として引き継がれる
真田氏が上田より松代に移藩してから廃藩までの10代250年間、殖産を興し文武をすすめ、その治政に見るべきものがあった。安政2年(1855)に「文武両道」を目指す にふさわしい文武学校が開校し多くの人材を輩出し、近代日本の発展に大きく寄与した。
明治維新の際、当藩は比較的早くから倒幕で藩論が一致し、戊辰戦争には新政府軍に参加した。明治4年(1871年)廃藩置県により松代県となり、その後、長野県に編入された。

◇真田の名声
1)「司馬遼太郎」も絶賛する「真田昌幸」
上田城を造ったのは「真田昌幸」であるが、「昌幸」を時代を越えたヒーロとしていまだに地元に根強く慕われているのは何故であろうか。「司馬遼太郎」は上田に訪れ、「街道を行く」で「真田昌幸」を「司馬遼」流の独特の表現で以下のように絶賛している。
「昌幸」が近隣の家康嫌いで、その勢力を牽制して貰うこともあって上方の豊臣方と手を組む。秀吉の死後も情勢の変化に流されず亡き秀吉に忠実であったことは律儀者の信州人に好まれるところであろう。関が原の前後に「石田三成」と締盟し、勢力拡大を図ったが「三成」が破れ徳川の天下になり、「昌幸」と子の「幸村」は紀州・高野山麓の九度山(くどやま)に流された。
「昌幸」の場合は知能的に最も優れているといっていい。かれは義経や正成と同様、政略や調略を用いて敵を腐敗させたり、利を与えて敵の有力者を寝返らせたりするような手を用いず、徹底的に軍事的でその巧緻さはそれを芸術的に楽しんでいるのではないかと思わせるほどであった。このあたりも、代表的信州人という印象を後世にまであたえる由縁である。

2)真田赤備え兜

             <赤備え兜>

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二度に亘り徳川の大軍の攻撃を退けた真田の「智勇」は天下に響き大阪夏の陣において武具を赤で統一し「真田赤備え」部隊を率いた真田幸村が被った朱色で鹿角型の兜が「赤備え兜」である。幸村公は「愛」と「義」の捨て身の活躍で「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」と称された。自ら信じる道を民とともに歩んだ真田一族の熱き「和」と「仁」の心、真田魂が宿る真田杉の切り株を「赤備え兜」がお守りしている。 ・・・「真田神社奉賛会」
輝き、鮮やかな真っ赤な色は大変目立ち、人々の燃える血に闘争心が植えつけられる。

その姿は現代でもスタンドを埋めつくす某球団の、チームカラーが目に焼きつく。「赤ヘル」はすでに戦国乱世の時代「赤備え兜」で先陣をきっていた。

3)六文銭
                <真田家の式台で掲げられる、六文銭の幟>

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六文銭の旗はかっての海野氏が用い、真田が継承した。千曲川沿いの豪族、郷士、農民達は海野氏の後裔と信じているために、この旗のもとに集まる習慣を持っている。千曲川統合のステータスシンボルとして六文銭が人々の心に強い結束力が自然と沸いてくるのであろう 。
六文銭は正確には六連銭(これは六道銭からきている)と言われる。

専門的になるが「六道」とは、仏教において命あるものは迷いの世界で現世とあの世の境界を繰り返すことを輪廻転生と言われている。その輪廻する迷いの世界が六道と言われ地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の6つの世界のことを言う。
この六道に苦しみを救ってくれる仏様が寺や街角で見かける「六地蔵」である。
我々が住む、近隣にあるお寺の境内にはこの六地蔵があり、街道筋にも見かけられ身近な所に鎮座されている。
死後の最初の行き先であろう六道に銭を持たせれば清く成仏できるだろうと、「六道銭」ができたようである。
信濃の名族滋野氏の流れの海野氏から生れ、その支流の真田氏が戦国武将で使われ真田の六連銭で有名となった。三途の川は地獄道・畜生道・餓鬼道を表す様で、六道銭を持たせれば戻る場合も安心なのであろう。

現世を振り返り、散々悪行を繰り返し、何とか生き延びたが、そろそろお迎えの時期に、六道銭の備えもしなければと思い立つのである。

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