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勝沼戦争を追う(その2)

◇いよいよ戦場付近に近づく A
大善寺より更に東側、甲州街道は緩斜面を上りきり山間部に入る。
正面の小高い山の手前で道が分岐し、県道217号深沢等々力線に繋がり、渓谷に入っていく。
車が数台並んで走っているが、分岐点付近で深沢入口の標識がもう直ぐの所である。
北側に柏尾山、甲州街道の沿いの南側にほぼ並行して日川(にっかわ)が流れる。この日川を挟んで南側、道を挟んで右側は岩崎山の裾野である。
沢が流れる、深い峡谷で街道とは名ばかりで人馬のすれ違いもままならぬ山道がくねくねと続いている場所に官軍と甲陽鎮撫隊が対座する陣形が敷かれた。
甲陽鎮撫隊は甲州勝沼柏尾山の東側に位置し、沢を前にした渓谷で、大砲2門を中心に、銃隊が周辺に配置し、陣取り、東下する官軍を向かえ撃った。
その陣形に沢を挟んで反対側に官軍の主力である土州・因州隊が正面から向き合う。
この間地図によると30間と言われるので僅か5~60mの鼻の先まで迫っての戦いであったと想像する。
一方、日川の南側の岩崎山の中腹から渓谷を見下ろせる位置から諏訪兵が 、甲陽鎮撫隊の側面から挟撃する。
他の土州藩の一隊は谷新兵衛が率い北方菱山(現ブドウ郷駅側)を迂回し深澤部落から敵の背後を衝かせる事に行動を開始した。

◇戦闘場所へ

B
深沢入口の分岐点に到着する。
左側が県道217号深沢等々力線で、正面に続く道が甲州街道である。角の部分が小さな広場になっており、小さな刀を下げた可愛い近藤勇の全身像が立ち、勝沼戦争の拠点であったことを案内している。
鳥羽伏見の戦いで幕軍は破れたとは言え、京の街を見回り、不貞浪士からも、震え上がらせ治安維持に活躍した。会津藩からも評価され、会津藩お抱えの新選組の局長に、似つかわぬ、軽い風体の像であった。

◇ぶどう畑に立つ会津藩士の墓碑

Image111111分岐点から県道217号深沢等々力線を先に進むとぶどう畑があり、中に会津藩士の柴田八郎兼吉の墓碑がある。
官軍側で因州藩士で名うての鉄砲の名手木村伊助はぶどう畑の囲みから飛び出し、幕軍陣地に狙い撃ちした。
それに呼応するように、会津藩士の柴田市朗(八郎墓碑)が飛び出し、大善寺の東門に身を寄せて共に撃ちあった。
柴田と木村は共に傷つきながらも撃ちあったが、無防備で標的になり、幕軍は木村に官軍は柴田に銃口を向けて一斉に撃ちだしたので柴田は胸を木村は腹を射抜かれ共に戦死した。
戦後木村の遺体は勝沼上宿の常行寺に埋葬しようとしたが住職が後難を恐れて承知しなかったので下宿の護念寺に五両収めて葬った。柴田の遺体は大善寺住職が白山渡馬頭観世音の碑のある敷間北方舊(きゅう)甲州街道に沿った樹影に埋葬した。今も墓碑は残っている。
そんな話が地元の生き残りから聞き書きとして、残されている。

◇三方から攻められ幕軍敗退
幕軍は遠路はるばる運んだ大砲2門も、大砲を操作出来る者が居なく、打った所で不発弾で、殆ど役立たずであったようだ。これに対する官軍側の大砲も余り役立たず、両軍とも火砲の出番はなかった。
放置された不発弾は周辺に散乱し、一部は地元の人が持ち去り床の間に飾られた。
正面勝沼の関門に谷千城の部隊が現れ、発砲する。
障害物がない柏尾橋は格好の標的になり迂回しブドウ棚の中に散開し、鉄砲弾で攻めたてた。
南方岩崎山は数に物言わせて諏訪兵が幕軍を圧倒し、岩崎山を奪取した官軍は更に進んで日川の渓谷を渡り柏尾の陣地を側面から一斉射撃を開始し衝いてくる。
谷新兵衛が率いる土州藩は迂回し深澤部落から幕軍の背後から衝いてくる。
幕軍は数で圧倒する官軍に三方から挟撃され、遂に此処から退却し、再び甲州街道を東に江戸に向かった。
幕軍は人家に火を放ち、 黒煙は当初西軍を悩ましたが、風向きが変わり、鎮撫隊側に吹き上げ、目もあけられぬ状態になった。


◇謎の池田七三郎の墓碑

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日川の渓谷を越え、岩崎山の狐原と言われる山中に幕府軍兵士として池田七三郎の墓碑がある。人里離れた山の傾斜地に歴史研究家、釣洋一先生にツアー旅行で案内していただいた。『明治元年三月六日柏尾の役で官軍と戦い戦死した幕府軍兵士』とある。
新選組在籍中の名を池田七三郎と名乗った稗田利八と言う人物が居るが、戊辰役では箱館まで戦っている。池田七三郎を名乗るが、新選組とは別の人物か、この山中で亡くなった人物は果たして誰なのか謎に包まれている。

◇最後に
勝沼戦争に関する史実や、土地の呼称はベールに包まれたままである。
冒頭、勝沼の戦場近くに知友いることは紹介しているが、この知友を通じて事実のギャップを埋めるのは難しかった。拝が思うほど同卿における、冷めた事件だったのかもしれない。

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