« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »

カテゴリーの見直しで、綺麗に盛りつけ

<写真はそっくり江戸の佇まいを残す海野宿、そんな空気感を確かめ、歴史を遡り心酔出来る >

Image1211
気の向くまま、幕末主体に、先人が残した遺跡、遺構を追っかけてみた。
余り振り返ることなく書きっぱなしで、ふと、見ると、ブログの積み上げた記事が240件も越えている。

2007年、それまで使っていたlivedoor.が政策的か、ブログの提供は一方的に閉鎖され、その乗換先を模索していた。
そこで出会ったのが、このココログで、過去のデータを完全にクリアーし、全くの更地からのスタートであった。
以来、記事の内容もさることながら、余り深く考えもせず、記事の後追いで、カテゴリーを増やしていった。
一つの記事に対して、関連性があるからと二つのカテゴリーを埋め込とむと、当然の事なら同一記事が二カ所で表示され、その1、その2と連番を取っても、記事の連続性が、損なわれた。
うんざりする程の膨大な量であるが、総てのつけが、てんこ盛りドンブリに無理やり押し込まれているようであった。
それぞれカテゴリーの独立制を固辞するならば、記事とカテゴリーはやはり1対1の方がすっきりしていることが、判りやすかった。
そんなことも含めて、240件の記事はそのままにカテゴリーを総ざらいし、見直した。
記事の内容から相応しい、カテゴリーも必要に応じ、増やし、一つの記事体系が、生まれた。

しかし、カテゴリーが増えた分、配列がランダムで、見にくかった。
何とか配列が自由に出来る仕組みがないか、ココログスタッフに相談したが、無かったが、カテゴリーに番号を付ければ、番号順に整理できる旨の回答を貰った。
早速、番号を振り、関連性などを配慮して、現在の形に収束した。

今回、カテゴリーを意識し過去のバックナンバー記事を以下のように整理した。
味一本のごちゃまぜのドンブリ盛りから、綺麗に盛りつけられた刺身盛りに、多少変身し、過去の記事を拾い易くしてみました。

鮮度は落ちるが、その繋がりから、奥に隠れた記事も報われます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◇01、My Home Page
HP『ようこそ幕末の世界へ』のURL修正お願い(2014.7)
「ようこそ幕末の世界へ」ご案内2012年9
「ようこそ幕末の世界へ」サイト引っ越しのご案内(2012,2)
「ようこそ幕末の世界」は100,000ヒット越え(2008,12)
アクセスが上がらないぞ~(2007,11)

◇02、幕末
「八重の桜」千本木牧場(2013,7)
波乱の薩摩藩士「益満休之助(2013,1)
腰痛に思う、3人の幕末の人物(2012,12)
魁(さきがけ)塚(2012,2)
幕府軍医「松本良順」(2011,2)
若くして散った佐土原藩「島津啓次郎」(2010.5)
武道で生きた「千葉さな」と「中野竹子」(2010.3)
薩摩・紀州 ・多摩郡の剣士集結 (2010.1)
咸臨丸の生涯 (2009.8)
これぞ プロの案内人 (2009.8)
維新とフランス (2009.4)
幕末から維新へ消えた一薩摩浪士 (2009.3)
伊豆下田に吉田松陰を追う (2009.3)
勝海舟生誕地 (2009.1)
薩摩・長州の最終決戦 (2009.1)
勝海舟の座右の銘 (2008.8)
赤のしゃぐまが (2008.5)
薩摩の刺客か (2008,5)
島津の家紋入のれんは? (2008.4)
歴史の語りを楽しんでいたが (2007.9)
浅田次郎作品の輪違屋 (2007)

◇03、幕末日野
「山岡鉄舟」日野をめぐる(2014,5)
普門寺の火事(2014,2)
日野、駆けめぐり「こんな事もあり」PART2 (2014,1)
日野、駆けめぐり「こんな事もあり」(2014,1)
「石田」は多摩川と浅川の合流点、豊かな恵みと洪水の歴史 (2013.8)
歳三の気を貰い戦った「日野高校」 (2013.7)
ひのを駆けめぐる。その2 歳三を追う(2013.2)
ひのを駆けめぐる。その1 (2013.2)
幕末を駆けめぐる日野剣士「日野義順」 (2011.5)
寂しく変身したとうかんの森 (2011.3)
「新選組のふるさと・日野を歩く」 (2010.11)
日野を駆けめぐる (2009.7)
「高島流砲術」がやってきた (2009.5)
日野、幕末案内 (2008.4)
日野の「幕末歴史散策」 (2007.11)
ある日曜日 (2007.10)

◇04、佐藤彦五郎・日野宿本陣
「千客万来、日野宿本陣」(2014,12)
日野宿の幕末、演劇公演に熱くなる(2014,12)
「壺伊勢屋事件」で犠牲となった日野剣士「山崎兼助」(2014,11)
日野宿本陣と三味線(2014,9)
日野本陣へ山岡鉄舟がやってきた(2013,8)
彦五郎の晩年に思う (2013.8)
熱く燃えて (2012.5)
国境の垣根を越えて伝わるもの (2012.1)
本陣、余話 (2011.8)
「佐藤彦五郎」来世の世界を思う俳句 (2010.8)
本陣にて新選組まつり (2010.5)
彦五郎の晩年に思う (2009.8)
本陣も七夕様 (2009.7)
散る雪や (2008.2)
本年も漸く終わった (2007.12)
本格的な秋迎え (2007.10)
久しぶりの賑わい (2007.8)
ゴールデンウィークに来館者を迎え (2007.5)
本陣にて (2007.5)
吊るし雛 (2007.2)
梅が開き出した (2007.2)

◇05、新選組
歳三病に伏す「覚庵日記」から(2013,12)
「近藤勇」大和田の渡し襲撃事件 (2013,4)
池田屋事件で憤死の宮部鼎蔵(2013,3)
東山温泉で歳三の気も (2012,11)
殉節両雄之碑が語りかける (2011.10)
第14回ひの新選組まつりの中止 (2011.3)
久しぶりの「近藤勇談話会」 (2010.7)
甲陽鎮撫隊を追う (2008.7)
土方最期の一日の続き (2007.12)
「土方歳三最期の一日」再放送 (2007.12)
ひの新選組まつり (2007.6)

◇06、戊辰戦役(蝦夷除く)
鉄道遺産と勝沼戦争(2014,11)
勝沼戦争を追う(その2)(2014,10)
勝沼戦争を追う(その1)(2014,10)
新選組の踏み跡その2 (2014.6)
新選組の踏み跡その1 (2014.4)
東山道軍の多摩郡進攻の足跡(2013,12)
戊辰戦争、下野その2「安塚の決戦」(2013,10)
戊辰戦争、下野その1、「小山」攻防戦(2013,9)
二つの東照大権現の大幟(のぼり)(2013,9)
白河口から会津へ(2012,11)
戊辰戦争「宇都宮城」攻防戦(2010,10)

◇07、蝦夷地
新選組の踏み跡その3 (2014,6)
榎本武揚と小樽の街(2011,7)
函館戦役を巡る旅、最終回「歳三の最後、函館山山中の碧血碑」(2011,1)
函館戦役を巡る旅、4「五稜郭、奉行所、千代ケ岡台場」(2010,12)
函館戦役を巡る旅、3「「松前城攻防戦、函館へ」(2010,12)
函館戦役を巡る旅、2「官軍上陸地~開陽丸沈没の江差」(2010,12)
函館戦役を巡る旅「榎本艦隊上陸地」(2010,12)
江差で念願の「開陽丸」と対面(2010,11)

◇08、江戸城とその周辺
玉川上水の偉業を伝えた「殉節両雄之碑」(2014,10)
隅田川沿いの幕末の史蹟を行く(2012,6)
龍馬・岩崎弥太郎と岩崎邸(2010,1)
歩け歩け湯島・本郷 (2009,5)
もう一つの「江戸開城西郷・勝の会見の地」(2009,3)
急げ、江戸城平川御門へ(2008,11)
赤坂周辺の坂道に歴史を見る (2008.5)
華のお江戸を歩け歩け (2008.5)

◇09、四谷・千駄ヶ谷歴史散策
とんだ、「都市伝説」にのせられた(2014,7)
お江戸ぶらり旅、千駄ヶ谷~お茶の水(2013,5)
四谷・千駄ヶ谷に取りつかれ(2012,10)
念願の「金華山」と逢えた(2012,4)
風雨にうたれた沖田総司終焉の地(2012,4)
信濃町から市ヶ谷へ「岩崎弥太郎」「鮫河橋」などを見る。(2010,4)
念願かなった迎賓館見学(2009,11)
信濃町歴史散策(2009,11)
四谷の寺町に幕末を追う(2009,10)
明治神宮から絵画館へ(2009,7)
千駄ヶ谷・徳川邸のおもいで話(2009.6)
幕末残す千駄ヶ谷 (2008.10)
千駄ヶ谷 徳川屋敷跡 (2008.3)

◇10、八王子
「新選組縁の八王子駆けめぐる、その2」(2013.07)
「新選組縁の八王子駆けめぐる、その1」(2013.06)
お十夜(2012.10)
大捕り物騒動、「壺伊勢屋事件」(一部修正)(2011.04)
「どうだんつつじ」と「壺伊勢屋事件」(2009.12)
風雲「八王子城」(2009,9)
八王子城落城と「お十夜」(2009,8)
天地人「八王子城落城」(2009,7)
八王子城を目指せ(2008,6)

◇11、千人同心
同心「石坂弥次右衛門」と「血梅」(2011,4)
梅の花のように散った「近藤勇」と「千人同心」(2010,3)
海に消えた千人隊「新藤左右助」(2009,2)
先祖は千人同心(2007,9)

◇12、甲州街道
甲州街道に残る本田家屋敷(2014,8)
甲州街道歩き」真っ盛り(2009,6)
「甲州街道を行く」を見て(2009,6)
甲州街道を歩く(2009,6)
甲陽鎮撫隊を追う(2008,7)
甲州古道を行く(2008,6)
厳しい小仏越え(2008,4)
街道をゆく(2008,2)

◇13、横浜
開国横浜を見る。(2007,11)

◇14、横須賀
「お龍」の足跡を追って、横浜、横須賀へ、そして決行(2011,5)
「お龍」の足跡を追って、横浜、横須賀へ(2011,5)
海運史を飾る浦賀(2010.2)
幕末海軍史を飾る三浦半島(2008.8)

◇15、佐倉・佐原
天皇陛下の心臓手術と順天堂(2012,2)
被災にあった佐原、佐倉の街 (2011,5)
幕末の風を求め「佐倉」へ(2011,4)
幕末の佐倉順天堂(2011,1)

◇16、徳川家
上野「寛永寺」、特別参拝(2013,12)
葵御紋を巡って (2009.4)
将軍慶喜公の江戸逃亡(2008,11)
和宮の婚約者、有栖川宮(2008,8)
大徳川展 (2007.10)

◇17、明治天皇行幸
うさぎ追いし、かの山 (2011.11)
明治天皇行幸と山岡鉄舟 (2011.9)
明治天皇の全国巡幸で日野小休 (2011.

◇18、天然理心流
二つの奉納額(2014,7)
天然理心流の聖地「桂福寺」(2013,6)
武州多摩郡出身の攘夷志士「真田範之介」(2013,5)
近藤勇と天然理心流(2013,3)
多摩の天然理心流(2012,7)
天然理心流の宗家と話(2008,4)
天然理心流を間近に見て昂奮(2008,2)
多摩の天然理心流(追文)(2007,4)
多摩の天然理心流(2007,4)
近藤周助隠居先を尋ねて(2007,4)
相原に幕末を見つける (2007.3)

◇19、坂本竜馬
「船中八策」と赤松小三郎(2012,8)
竜馬・おりょうが奏でる唄(2010.11)
竜馬・おりょうハネムーン(2010,5)
龍馬のもう一人の妻「千葉佐那」(2010,9)
輝いていた「近藤長次郎」(2010,8)
京急沿線に龍馬を追う(2010,7)
晩年の「おりょう」を追って(2010,6)
龍馬をめぐる3人の女性(2010,6)
龍馬と千葉さな(一部修正)(2010.3)
龍馬と黒船(2010.2)
惹きつける「おりょう」さん (2010.1)
龍馬・岩崎弥太郎、二人が追ったロマン(2010.1)

◇20、坂の上の雲
Stand Aloneの心地良い、響き(2012,1)
日本海海戦(2011,12)
広瀬中佐(2011,12)
戦艦「三笠」と「龍馬」(2011,6)
「坂の上の雲」と榴弾砲(りゅうだんほう)(2010,5)
「伊藤博文」と「安重根」(2010,1)
[坂の上の雲」と日清戦争(2009,12)
「坂の上の雲」と「近衛師団」(2009,12)
スペシャルドラマ「坂の上の雲](2009,8)
「坂の上の雲」のたなびくあたりで、杯を(2009,7)
坂の上の雲に登場する乃木将軍(2008,9)
坂の上の雲 (2008.9)

◇21、篤姫
駿府の国で篤姫語る(2009,3)
篤姫追って寛永寺(2009,2)
眩しく輝く篤姫の駕篭(2009,1)
篤姫が手招き(2009,1)
篤姫が伝えたかった言葉(2009,1)
篤姫人気(2008,12)
篤姫が終わった(2008,12)
スタジオパークに天璋院篤姫が(2008,12)
篤姫江戸城を去る(2008,12)
篤姫と浜御殿(2008,10)
惜しまれつつ徳川家定 (2008.7)
養父それに夫の死 (2008.7)
将軍家定の足跡 (2008.7)
パンドラの箱を開ける (2008.6)
将軍世継ぎ問題 (2008.6)
念願の江戸城入り (2008.5)
薩摩藩渋谷別邸  (2008.5)
三田の薩摩藩邸上屋敷 (2008.4)
斉昭に切り込む篤姫 (2008.4)
八王子から篤姫に (2008.3)
篤姫の旅立ち (2008.3)
吾輩は猫であるに登場する天璋院 (2008.3)
篤姫縁の地へ バスツアー (2008.2)
黒船来航に揺れるドラマ「篤姫」 (2008.2)
鶴丸城へ向かう (2008.2)
斎彬が名君である由縁は (2008.1)
篤姫縁の地へ (2008.1)
撥ねる篤姫 (2008.1)
篤姫に惹かれる (2008.1)

◇22、井伊直弼
井伊直弼の青春期を過ごした「埋木舎」(2014,10)
桜田門外の変(2014,2)
井伊大老討たれる(2008,8)
いよいよ桜田門外の変(2008,8)
受難の井伊直弼(2007,12)

◇23、戦国史
かく戦えり、「真田一族」 その二(2014,9)
かく戦えり、「真田一族」 その一(2014,8)
信州の旅「松本城」(2013,11)
風雲「八王子城」(2009,9)
野武士姿の武将(2009,9)
天と地と(2008,1)
終わってしまった風林火山(2007.12)

◇旅行・地域
京都弾丸ツアー(2014,8)
小布施の「高井鴻山」(2013,11)
玉電沿線の歴史を歩く(2013,3)
「ならぬことは、ならぬものです(2012,12)
新選組を熱く語った「早乙女貢」氏(2012,12)
中山道の「和田宿」に和宮の降嫁を追う(2012,3)
済州島と司馬遼太郎 (2011.2)
晩秋の大内宿へ (2009.10)
日野の「幕末歴史散策」 (2007.10)
流山 (2007.9)
東京の西の外れ (2007.6)
唯一の道案内人 (2007.2)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「千客万来、日野宿本陣」

       <日野宿本陣、ちょっと古い写真>Image111
今朝も氷点下2、3℃の世界、身を縮めながらの本陣出動である。
開館前に、風に吹かれ、パタパタ揺らぎながらの旗揚げ陣屋で、全国から駆けつける同志を迎える。
熊手で中庭の松の廊下を砂利かきをする頃、駐車場に座高の高いワゴンが止まった。1人、2人と何と総勢7人もの壮年の男性が1台の車から次々と降りてきた。
開館前であるが、入館希望である旨、告げられたが、係りの人達は庭先に落ちた枯れ葉回収でおおわらわであった。
折角、早めの到着に目の前で待機するのも勿体ないし、機転を効かし、入口付近の日溜まりで、普段やらない外回りの案内を行う。

甲州街道を挟んで向かい側に高札場と問屋場の碑があり宿のど真ん中に当たる。
日野宿に参勤交代で大名を迎えた二つの本陣があったこと、両名主は佐藤家であり、上・下佐藤家の京に近い方から上継いで下で識別したこと。マンションに変わった姿に、かっての二つの本陣の姿を描いてもらう。

              <明治天皇行幸の碑>

Img_113211

維新以降、明治13年に明治天皇が京へ行幸されたおりに休憩されている。
その行幸の記念碑に明記された御善水とは井戸を指す。石壁の近くに選ばれ、場所を宮内庁から何回も調査し、良かろうとお墨付きをもらった。
数年前は井戸枠もあったが、腐り撤去され 現在は鉄の蓋が掛けられいる。

入母屋作りの式台の屋根部に取り付けられた変わった飾り物は火災から護る"懸魚"であること。

                 <式台の天井部の飾りもの>

Img_502811111

その懸魚に使われているのが鳳凰(ほうおう)で古来中国で尊ばれためでたい鳥であること。
頭から尾まで、色々な動物の姿を形どった仮想鳥であること。
こうして火災から護られているが、長い年月、風雨に晒されているため心なしか風化が進んでいるように見える。

建物は嘉永2年(1849)の火事で燃え、文久3年に完成する。長い建築の期間に門脇の長屋で仮住まいしていたが、建屋完成で、長屋から本宅へ移る。
屋敷の東側で佐藤道場を開いたといわれるが、この長屋が空き家になり、改築し慶応2年(1866)に道場を開設している。
その長屋は門と一緒に大正の火事で消失している。
寒い朝、日溜まりを選び、其処で説明する内に結構な時間も経過。
館内前での繋ぎ役の案内序曲は終わり、いよいよ本番の館内案内に移る。
早朝ともあって、他の来館者もなく、たっぷりと建物と同家と歳三の関わりを紹介し、皆さん真剣に耳を傾けてくれた。
説明も終わり、再びワゴンに七人が乗車、気のあった歴史の男旅が日野宿を離れる。
次に向かうのが、相模湖にある小原宿本陣へ、今日中に大月の下花咲に行ければと仰って、満載の車は西へ下った。

同日、やはり車組は大雪の中、新潟から来館された、小さい男の子を連れ立った御夫婦であった。
どうやら、奥さんが主役。じじいの話に3歳の子は、興味なし、車旅の疲れか、ご亭主の腕の中で抱かれ、何とか館内一回り。
最後は新選組の羽織を着て、ピース合図の写真撮影に、ご満足の様子。
別れ際には愛嬌を振りまいて、しっかり手を振り、ご挨拶であった。
これから、千葉の流山へ、勇の軌跡を追っての旅巡り、奥さんのプロデュースかコアーな新選組の旅巡りのようであった。

嵐が来館してからかなり経つが、放映された影響から、訪れる来館者も、未だ後を絶たない。
放映された時に、嵐が色々、建物や置物を取り上げた。
現物を前にこちらから謎かかけすると、曖昧なお母さんより、子供がしっかり答える。
その記憶力の差にお母さんが、恥じらい、してやったりの子供の姿も何とも微笑ましい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

日野宿の幕末、演劇公演に熱くなる

Img0751幕末、幕府の力も落ち多摩地域でも薩摩浪士の活動や農民の一揆の勃発で治安が悪くなった。日野宿を始め多摩地域を巡る周辺地域で活動する日野宿佐藤彦五郎と日野宿剣士の活躍振りを中心とする、演劇であった。
余りメジャーでもない日野宿剣士や上田修理、伊牟田尚平など、薩摩浪士などローカルな人達にも光を当て、構成するストーリーに真摯に取り組む、作者の思いが込められているようである。
日野宿剣士として紹介される佐藤僖四郎、中村太吉朗、高木吉蔵、馬場市次郎、井上松五郎と新選組に入らず、剣士として彦五郎と共に活躍した人物の名前に記憶を蘇らせる。

多数のお客を呼び、興行収益にも繋がる演劇である以上、客寄せに新選組の人気を使うのは致し方ないが、敢えて多摩の根付いた土の匂いがする素朴なテーマに向き合うことが何か共感さえ覚えてくる。
千人同臣として時の十四代将軍家茂公の警護で上洛するために、宿から出発する井上松五郎(源三郎の兄)と見送る人々の姿はまさに天領として幕府を支える気持ちが自然と伝わってくる。

折しも、清川八郎率いる浪士組に参加するか否か、勇がつねと結婚し、たまの誕生に家庭の幸せを掴む時期に一剣道道場主としてこのまま、終わるか、傾く幕府のために身を注ぐかの選択に大いに悩む。
勇、つね、彦五郎がそれぞれの立場でぶつかり合い、揉み合いそして最後は幕府のため、浪士組の道を選んでいった、勇の決断のプロセスがきちんと描かれていた。

幕藩体制が揺るぎ、江川太郎左衛門からも地方の自衛として農兵隊が誕生し、日野でも育ち、治安維持に力を付けてくる
多摩川の築地川原で農民不満の一向一揆の鎮圧や八王子の壺伊勢屋事件で彦五郎以下、日野宿剣士が活躍する部分をそれぞれ時代を追って、演じられる。
刀から銃への時代にピストルや銃が登場するが、弾の装填にミニエー銃の先込め操作など実に細かい所まで徹底し操作していた。
これなら、平成農兵隊として参加出来るのでは思ってしまう。

幕藩体制の攪乱のため薩摩藩邸から出発し甲府を目指す。江川の密偵に察知されながらも薩摩浪士が八王子に到着すするが、宿泊するを所を幕府側が襲撃する。
双方に多量な犠牲者が生まれるが、参加した日野剣士が2人も犠牲になる、多摩版の池田屋騒動と言われる壺伊勢屋事件は激しい乱闘事件であった。
このストーリの山と思って、その舞台装置と殺陣に期待した。
先陣として馬場市次郎が階段に駆け上がり、ピストルで撃たれ即死する。更に彦五郎宅の長屋に住む山崎兼助も亡くなる。散っていった二人の果敢な姿の妄想を描いていたが、やや具体性が乏しく舞台の立ち回りで終わってしまい、山崎兼助も居なかった。
とりわけ、兼助については、行くえの知れなかった墓石の安置場所が見つかり、佐藤福子館長と山崎の縁者と一緒に墓参が出来たこともあって、密かな期待感もあった。

まあ、まあ、単なる一観客の勝手な期待感で、舞台劇を膨らましてしまったが、予算のやり繰りに、準備出来るのはこの程度であろう。某国営放送の如く、桁違いの予算で作り上げることは難しいことも理解すべきであろう。

2時間、休みなし、終始気合の入った演技に息つく暇なく、世の中が大きく変わっていく歴史を正面から向き合い、多摩地域の幕末に触れ合うことができた。

カーテンコールの鳴りやまぬ、拍手に熱気を受け、思わず熱くなった。
佐藤福子館長の先祖を思う気持ち、この演技にかけた役者さんへの労いの挨拶も、見事であった。

Image111
閉幕後彦五郎さん、おのぶさん、恨み役であった上田修理に個別に挨拶し、興奮覚やらづの七生公会堂を後にし高幡不動へ向かった。
折しも紅葉で真っ赤に色付く高幡山が美しく輝いていた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »