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勝沼で戦った幕兵がキリストの世界へ

◇結城無二三

Img0991111甲陽鎮撫隊に参加した結城無二三がキリスト教の世界に入る。その変化に富んだ生涯を追ってみる。

弘化2年(1845)甲州で誕生、幼名は有無之助。
結城無二三は16歳で江戸に出て、幕末の攘夷派は志士の思誠塾や幕府の講務所で文武を習。父の死で帰郷後京に上がって見回り組に入り、*慶応2年(1866)に新選組に移籍したとされている。
但し、歴史作家山村竜也氏は後述の長男の書かれた私本で書かれたもので、裏付けもなく、新選組隊士ではないと、言い切っている。
唯一、結城との繋がりは新選組が甲陽鎮撫隊が出来、近藤が甲州に詳しい者を探して欲しいと言うことから、結城との出会いが生まれた。

結城は生まれは甲府で甲州に地理に詳しく、大砲の心得があったと自ら名乗り出た。
慶応4年(1868)甲陽鎮撫隊に加えられ、地理嚮導兼大砲差図役および軍監と言う肩書を与えられた。

と言うことで、結城は新選組隊士ではないが、甲陽鎮撫隊で参加している。

◇勝沼戦争で幕軍惨敗

甲州街道の勝沼から江戸(東京)方面の姿。戦場となった柏尾の陣の日向平そして 、甲州街道を挟んで反対側の岩崎山も戦場となる

Image1

幕軍はフランス製の最新鋭の砲を持ってきた。雷管が付いているがその使い方を知っているのが、結城無二三だけであった。
結城は甲州の出身と言うことで、当日、村々の人を塩山の寺に招集をかけ説明会を開いていた。その最中に戦争が始まってしまった。
戦線に残った連中は昔の大砲しか知らず、雷管をセットせず、そのまま撃ってしまった。爆発せず、そのまま地面に放置されてしまった。
三方から攻め、数で圧倒する新政府軍に甲陽鎮撫隊が惨敗し、その日のうちに鎮撫隊は江戸に退却するが結城は駿河方面へ逃した。

◇開明の世界、乳業に取り組む
結城は沼津兵学校に入り西洋式学問を学び、教師としての山岡鉄舟と知り合う。
山岡、勝海舟の勧めで伊豆大島で日本では習慣のない牛乳飲料のため乳牛の飼育を計画するが、甲府盆地で農民騒動が起こり、計画を中止し甲州に戻る。
明治9年、妻を娶り甲府で、乳牛の飼育に取り組み成功する。

◇俗世界から縁切る、反骨精神
この成功事例に、突然県庁で同じく牛乳を始め出した。
開明の事業を私人に手を着けられ、県庁で関係しないとあっては政府へ対して面目が立たぬという趣旨であった。
結城は尊皇攘夷の旗を掲げていた政府が恥かしくもなく開明屋に早変り、寄ってたかって自分を圧迫するのかと、不平が一時に勃発し、直ちに県令のところへ押しかけた。

激論した上、牛を売って牛小屋を叩き潰して、さっさと御代咲の山の中へ引き込んでしまった。
己は敗軍の将であり、明治政府の治下で仕事をしようというのがそもそも間違いと、深く決心し、勝沼より南方方向の大積寺という人里離れた山にこもり、俗世界と縁を切る。
世間では武士が大積寺の山へ入って仙人になる修業をしていると評判になる。

◇危急に救われキリストの世界へ
明治11年、人里離れた山中で夫婦とも病気にかかり、医者にもかかれず窮したところ支那訳の『聖書』を一冊持ち、キリスト教の聖書の詩篇で祈ったところ、快方に向かう。
これを機会に結城は英語と歴史を教える傍ら布教活動を行う、カナダの宣教師イビーを訪問する。伝道所は現在の日本基督教団甲府教会である。
明治12年洗礼を受け教会の伝道師としての道を歩み二年間、山梨県下を巡る。
明治13年単身上京して麻布の東洋英和学校へ入る。既に若くない、結城の全く経験のない分野の学習も伴い苦労するが、熱意で克服する。勉強の傍ら牛込教会を引き受けて伝道を行った。

◇厳しい布教活動

布教活動は大きな障壁もあり、結城に襲いかかった。
明治16年結城39歳、全国にわたり耶蘇退治の運動が勃発した。浜松はこと激しく布教活動として講義所の演壇で演説する結城にめがけて石が飛んでくる荒れた世界で、暗澹たるものであった。
関係者危険だからと家の者と一緒に奥の部屋へ閉じ籠って、投石から身を守り、内で讃美歌を歌う悲惨なものであった。
石は結城にあたるが平然と構え、投石で洋燈は消えても暗闇の中で演説を続けていた。
激しい妨害の中で、その熱意に耶蘇は嫌いだが、同情するものが現れ、投石防禦に廻ってくれる者もいた。
そんな厳しい布教活動の中で熱意が徐々に受け入れられ評判を呼び結城を慕って京都から訪ねてくる者もいた。
以来各地で献身的伝道を行う。

晩年の韮崎での生活は恵まれず厳しい暮らしであったようだ。そんな困窮生活の中で息子に教育を続けさせた。

明治45年(1912)病没する。
結城を指導した宣教師イビーはカナダで訃報を聞き「ああサムライ結城無二三」と絶句した。

幕末から維新にかけて、一戦士が未知の分野の乳業の世界へ、政府の横やりで、挫折するも、反骨精神で更に布教の世界など千変万化に富んだ生涯であった。

幕末から維新へ様変わりする環境に挑戦的に生き抜いた、結城の姿に、心響く。、「無二三」とは「俺ほどの豪傑は天下に二人も三人も居ない」という意味で名乗ったと言われる。

(参考資料)

*歴史読本2002年「結城無二三の足跡」山村竜也著
**結城の長男結城禮一郎著した私本「お前たちのおぢい様」(中央文庫・絶版)

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