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ひの新選組まつり 2016年

                   <日野宿本陣、式台のある玄関口>Img_1136
ああ~今年も、新選組祭りは終わった。
天候も恵まれ、朝の空気は若干ひんやりで、さほど暑からず外出には申し分ない。
旧甲州街道は当日に限りパレードで交通規制がかかり、全国からフアンが押しかけ、祭りにに盛り上がる。
オープニングの前にメイン会場となる旧甲州街道は架設のテント小屋が建てられ係のスタッフが、この日に合せ、忙しく準備にかかる。
その前を通り過ぎるが、同じ祭りを間接的に支える一人として、今日は特別な日であることの、思いがじわじわと伝わってくる。
この祭りに併せ、大量な来館を予想して、本陣の受け入れも、員数は増やし、滞留しないように人の流れを上手く回し、満足頂き、建屋と幕末の空気を味わって貰う。
去年も一緒だった、Yさんと一緒で、開館前の庭掃除、水撒き、旗挙げの準備にお互いに、今年も頑張ろうと声を掛け合うが、これが最初で最後で大量な人の渦の前に、呑み込まれ、それぞれのお客さんの渦の中にあり完全に離れ離れの世界にある。
此処まで来る過程で道すがらの様子から始まる前の人の姿、流れに、、今年は何となく少ないことが、お互いに共通の認識であった。
開館時はやはり、出だしは悪かったが、時間と共に祭りならではのラッシュが始まり、その対応に追われる。
当日集計の結果は去年は1000人越えであったが、約940人とやはり未達であった。

◇熊本地震
パレードに身を心も注ぐダンダラ模様の戦闘着に鉢巻き姿や、中には洋装化した幕府陸軍の姿で身を包む姿が散見された。
そんな中で小学生の男の子がイメージキャラクターのクマモンのタオルを掲げる姿が一目を引いた。
折しも熊本地震が未だ納まりそうも無く、体感する地震は延べ1000回を越えるという天災は一向に収まりそうも無い。
熊本と言うと山鹿流軍学師範で吉田松陰と同じ境遇から意気投合し、共に全国行脚し、
池田屋騒動で倒れた『宮部鼎蔵』がふと思い浮かんだ。
「宮部鼎蔵」の生地は、震源となった益城町のすぐとなり、御船町である。
一昨年(2014)、池田屋騒動で亡くなり150年忌が御船町で開かれたそうである。
宮部鼎蔵とその弟・春蔵は直後の蛤御門の変で落命しており、二人を祀る鼎春公園も無事であることを祈るばかりである。
熊本地震の震源地として、激しい揺れの中、
家屋の倒壊や墓石の滑落宮部も池田屋で倒れ、152年の眠りから覚まされたのではと思われる。
日本全国、何処へ行っても、地殻変動の渦の上、休まることない。

中庭を挟んで北側の広場は、催し場のメイン会場になっている。
遮るものもなく、ドーン」と打ち鳴らす、大太鼓と小太鼓の連打 大音響が館内に直に伝わり響きわたる。
「えいえいお~」の掛け声に、いよいよパレードが始まったか姿の見えない此処では声と音だけの世界であるが、その熱気が十分伝わってくる。
その鼓舞する戦闘姿は京都見回り組として池田屋騒動など、武勲を立てた武闘集団の新選組の姿がある。
その存在の正しいとか悪いということでは無くて、幕府の為に忠誠し、最後まで殉じた姿が憧れに通じ、ではなかろうか・・・。
一方では池田屋騒動の向こう側の世界からも、見ている人がいる事を忘れてはならない。

式台に繋がる玄関の間に、限られた空間に寄せ合い座って頂くが、人となり自然と温もりが伝わってくる。戸は開け広げ、 季節柄五月の風が吹き抜け、大変気持ちが良く、歳三にあらぬとも、眼が閉じてしまう。
案内人の声も子守歌に、異郷の世界で歳三の出会いが確かめられるのであろう。

終わって、喉はガラガラ、我が家に帰っても人の渦の残像が何時までもかすめ脳まで侵される刺激的な一日であった。

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