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明治天皇行幸と御膳水

明治13年6月16日、明治天皇が甲州路から木曽路を京都へ御巡行され、激しい雨の中、馬車で日野佐藤邸へ到着した。雨は激しさを増し、道路上に砂礫を撒くのみで、馬車は泥に車輪を取られ、難渋したと言われている。
明治天皇を乗せた重厚な儀装車を中心に前後を固めた小旗の日章旗を掲げて儀仗兵達の物々しい制服姿の一団は街道筋の人々を驚かす、重厚で壮大なシーンであったと想像する。
随行者は300~400人と言われ、二品貞愛親王、太政大臣三条実美(長州系公家)、参議伊藤博文、同寺島宗則、他内務郷、文部郷、宮内郷、陸軍中条、などなど国の中枢を担う要人が多数含まれた。
日野宿では宿の指導者たちが、羽織・袴に威厳を正し明治天皇の巡行を迎えた。
元々幕府の天領地の日野に幕府が倒れ明治維新後、明治天皇と言うVIPを日野でお迎えすることになった。

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<明治天皇を乗せた六頭曳儀装車(明治神宮宝物殿の展示(カタログから)。
この儀装車を中心に前後を固めた小旗の日章旗を掲げて儀仗兵達がさっそうと乗馬し警護する。
但し、この儀装車を使われたか不明。

◇大事な御膳水
何よりも敬うべき天皇をお迎えする事ではあるが、たかが飲料水如きに井戸を堀り、差し上げる、もてなしに、如何に、大変な行事であったことを物語る。
明治天皇の住まいである御所から離れ、全国に行幸される、場面ではことの他、神経を使うのは飲料水であった。
人間の体は60~70%は水分で構成されていると言われている。そして体内の水分は常に汗、尿、呼吸なで排出され1カ月で体中の水分が入れ代わる。従って、良い水を効果的に摂取することは健康維持に、長生きできると言われている、健康造りの原点なのかも知れない。
良い飲料水の効用は既に先人の知恵として伝えられ、名水と言われるものがもてはやされている。
飲料水のコマーシャルではないが、水の大切さをこんな所から生まれ、伝承となり明治天皇の行幸にも熟慮されたのではなかろうか。

◇散在する御膳水
明治天皇が全国に精力的に行幸されたことから御膳水と言う看板で光が当てられる場所は以下のようにあちこち散在し、名所にもなっている。
1)茅野市
茅野市宮川にある曹洞宗の名刹宗湖寺は 寺の敷地内にある井戸の水を「御膳水法(のり)の真水(ましみずと命名この水は1880年(明治13年)明治天皇に献上した由緒ある井戸水
2)軽井沢宿
江戸時代より水質が良くわき出る水が豊富な湧き水は「お水端」と呼ばれ軽井沢宿を往還する旅人や宿場の人々また本陣に宿泊する大名・公家の御膳水として活用された。
明治11年9月明治天皇が軽井沢宿で昼食をとられた際に御膳水として使用された湧き水の源泉がこの谷間にある。

◇日野宿での御膳水

01110012<御膳水の井戸と場所を示す案内板がかってはあった。>

本陣にも明治天皇の行幸と御膳水の碑が残っている。
明治天皇が京都行幸で日野宿の本陣が休憩所としての利用が具体化されたときに宮内郷から敷地内での水質の調査を実施し、御膳水として検査をした。不的確であれば多摩川を利用するようであったが、現在の本陣の中庭の井戸でお墨付きを貰った。
明治天皇は明治13年の京都行幸と併せ、翌14年にうさぎ狩りで来られており、御膳水として大事な役割を果たしている。
その後、御膳水は、半ば放置され、木製の井戸の裏側ががかなり腐食し傷んでいたので桶は、外され蓋を架けられ、案内板も無くなった。

維新以降、宿を上げての明治天皇の京都行幸で迎えた大きな行事。それを支えた、御膳水の設備は当時を語り伝える大事な記念物だけにせめて場所を示す看板だけでも有るべきと思うが、知る人ぞ知る存在になってしまっている。

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